夢について語ろう

「夢」というテーマに関する作家のエッセイです。
随時更新しています。
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絵を描くことが夢を叶えるための第一歩になる

ある日を境に世界を描くことをライフワークとした画家がいた。
彼は行ってみたい場所をたくさん描いた。
するといつの間にかそこを旅できるようになっていた。
彼が素敵な未来を描いたら、その未来が現実に起こることに気付いた。
紙に理想を落とした瞬間に、大きな第一歩を踏み出したことになるからだ。
夢を描いた瞬間から夢が動き出す。この世界は自分次第だ。
世界遺産を描く旅より。

ここで夢を叶えるためのエッセンスを語っているのは、
自分に語りかけて来るココロの声のようなものでもあったり、
たくさんの先輩方からのアドバイスであったり、
神様的な存在からの声であったりする。
夢を叶えるということは自分の創造力を高める本当に素晴らしい経験だ。
ココロの声に従って夢を叶えていく。

92 情熱

情熱

心を燃やせ

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もっと大きな夢を持つ。
ルーブルに絵を飾る!
改めてこの夢は叶えたいと思った。

先日、d-labo湘南でのトークライブにて、
自分自身の過去、現在、未来について語った。
偶然改めて自分を客観的にみる機会に出会うことになり、
もっと大きな夢を目指そうと決めた。

2年前、同じ内容で語った時とは明らかに志が良くも悪くも変化していた。
2年前の心の火は分かりやすい形で燃えていたことに気づく。
現在の火の形は少し躊躇した形をしていた。

人生は面白い。どんどん変化する。
しかし自分でも気づかないうちに変化する火の形に少し怖さを覚える。
どんな時でももっと主体的に客観的に自分を見ることのできる力を身につけたいものだ。

今回のトーク前には岡本太郎さんの講演映像を見たりしていて、
自分との圧倒的な差を感じたりしていた。
彼が言うように「これはなんだ!?」と
思わせるようなものを創っていきたい。
単なる綺麗な絵、きれいな喋り方を圧倒的に超える世界を創ることを考えていきたい。
もっと大きな目標を。
もっと大きな夢を。
一度しかない人生の中で、到達したい最大の場所はどこだろう。
小さくまとまるよりも、
大きな世界を眺めて歩いている方が圧倒的に楽しいはず。

これまでは大きな夢を持つことイバラの道だと思っていた。
今見えるその道は光っていていかにも心地よさそうで、
この道は楽しそうだ。

ほんの少しだけ視点、感情を逆さまにゆすぶっただけ。
周りは何も変わっていないのに、世界がキラキラに変わる。
情熱の火に木を焼べるのは自分自身でしかない。
情熱的に大きな道を進む。

2015年1月27日(火)港区

91 真実

真実

本当のことをさらけ出す


自分の場合も嘘をついていることがおおい。人前で自分の本当のことばかりを並べたてるのはとても難しいものだ。真実を発言できないということは自分にとって今の自分の状況がある程度都合が悪く、人に隠しておきたいからだ。自分にとってはそのことが現実ではなく、もっと他の現実があるものだと思えているからそういった発言になる。自分の中の全ての情報を発言することが望ましく、自分の中の全ての出来事が誰に聞かれても恥ずかしくないような状態を作りたい。とはいえ、自分の全て、過去に蓄積されてしまっている事柄の全てを今さらけ出すこと必要があるわけではない。過去は変えられない。今この現実を知って過去について悩むのではなく、これまでの過去を基に積み上げられていく現在以降において、真実を語ることのできない人生を歩むという道を作らないようにしたい。人に自分の真実の全てを丁寧に並べ、発言していくということは丁寧に自分自信のことを認識して、受け入れ、全く否定することがない状態になることだ。
人に公表できない癖、人に公表できない嗜好性人に公表できない習慣、人に公表できない人間関係、人に公表できない行動、人に公表できない指針、人に公表できない目標、人に公表できない野望、人に公表できない感情人に公表できない仕事、人に公表できない趣味、人に公表できない価値観、
他人に堂々と発表できるような自分の中身で埋め尽くすことが できれば最高の真実の基、日々を過ごすことができる。どんなに不幸な状態にあったとしてもそれがあなたの真実であり、そのことを変化させられるのはあなたの心でしかない。その状態をどのように受け入れ、他人に自分の真実を丁寧に語ることができるか。少しずつ真実を受け入れられるよう準備を進めていく。

2014年12月30日(火)16:33くだり新幹線

90 丸腰

丸腰

不安になるような環境の中で開花する

地球の歩き方やネットに落ちている情報を辿って海外一人旅にでると自分がどんなに臆病者であるかということに気づかされてしまう。日本だけしか知らなかったころ、二十代のころのあの浮ついた根拠のない自信は海外で銃を突きつけられたあの日から消し飛んでしまった。僕たち人間はただの水風船で、銃で穴を開けられてしまうだけで、この世界から消えて無くなってしまう。日本という城壁で緻密に完全に囲われた世界の中ではその安全は絶対だ。
ただし安全の中では圧倒的なアイデアは生まれにくい。少なくとも僕の場合はそうである。自分が丸裸にされるような現場の中で、自分の才能や本能を使用しなければ乗り切れない状況の中で、頭を普段の三倍は回さなければならない問題の前で、普段の三倍眠れないような境遇の中で
圧倒的なアイデアは開花する。今の自分が本当に欲しているもの、今の自分が悩んでいること、今の自分が心から愛しているもの、今の自分が全身で表現したいことは
僕の場合、海外を旅することで発想することができる。
怖いという気持ちを乗り越えられる環境に何回出会ってしまうのか、そんな環境に出会わないようにふんだんに頭を使えるような環境を生み出すのは自分で決めることができる時代である。

2014年11月30日(日)

89 気楽

気楽

ねばならない夢なんてない

好きなことをやって生きていく道は時には好きなことから遠ざかる可能性も秘めていることは明白だ。その好きなことか僕のように絵をかいて、旅をしながら生きていくことたとすると、その両者の存在が生活を苦しめたり、楽しいことではなくなってしまったりする。これはパートナーの存在と似ているかもしれない。心から大好きで一緒になった恋人に対してすら我々は嫌悪感をぶつけてしまうことがある。自分が意図する方向が時期によって変わり、周りの環境に影響されて嗜好性が変わったりするからだ。恋人は簡単には変えたりアレンジすることは倫理的にも人道的にも好ましくないが仕事や活動は単調になにかひとつアレンジを加えることによって楽しさを取り戻すことができる。
いつの間にか旅が仕事化し、誰に言われるてもないのに使命感に追われ、世界遺産アーティストという人がどのようなひとであるべきかだけを考え、旅をするようになってしまっていた。それは大好きなものをとてもつまらないものに変えてしまうことに他ならない。
そんな昨今、窪咲子さんという旅ライターの女性との出会いが僕の旅感以上、人生感にもにひとつのエッセンスを与えてくれた。彼女の旅本を読めば理解できるが自分の大好きなことだけをただシンプルに様々な場所で表現している。
彼女の旅の中に、ねばならない、とか、べきだ、とかそういうものは存在しない。シンプルにこの世界を楽しむ。この感覚が大切だ。
そんなこんなで、2014年最後の旅はメキシコに決めた。できればティカル遺跡に行きたいと思っている。心から世界遺産を楽しむんだ。
2014年11月 8日(土)

88 工夫

工夫

アレンジを加えて自分を騙す

絵描きという表現者は常に自分の感性をピュアに持ち続けることが大事だと思う。
今日生きていくお金を作らなければ!みたいな感覚で活動をしていると
一向に素敵な絵なんて描けないものだ。頭の中を柔らかく、目の前にあるものに常に好奇心を向ける。
そんな中で世界遺産を巡り、描き出してから4年目になるけれど、
この世界をめぐるという活動ですら飽きてしまい、なんというかわくわくしない絵になってしまうことがしばしばある。
昔の日記を読み返してみると初めて世界一周をした時の文章の
踊っていることといったらこの上ない。飛行機に乗っているだけでもものすごくハイテンションだ。
3週目ともなると飛行機に乗ることが苦痛になってくる。
お金の節約がしたくて和歌山の実家に夜行バスで帰らざるを得ない時のあの感覚だ。
もちろん海外旅行は楽しい。だけど、前と同じじゃやっぱり飽きてしまうのだ。
商い、とは飽ない、という意味らしいことを誰かが言っていたけれど、まさにその通りだと思う。
この世界の中で自分をどれだけ騙し続けることができるか。わくわくするために工夫が必要だ。
昨日と同じ明日、ルーティンになってしまえば大好きな焼肉も脂っこいだけである。
環境はアレンジする。そんな中で常にわくわくする行動が僕の場合にはある。
それが「絵を描く」ということだ。それももちろんわくわくするモチーフを描く時にとても興奮する。
現在は空想の世界を描くことをしていないけれど、昔のように空想の世界を描くのも絶対に楽しいと思う。
自分の心が震えるように楽しいことであっても工夫をする。あきないようにあきないをする。

2014年11月7日(金)朝食

87 同様

同様

いつもの朝、いつものコーヒー

当たり前の毎日がどんどん流れて行く。
今日も、朝目覚めた時、ベッドに太陽が降り注ぐ。
歯を磨き、しっかりとアイロンをかけたシャツに袖を通す。
同じような電車に乗って同じような人に会う。
いつものカフェでいつものモーニングセットを注文する。
他愛のない会話とともに一日が始まる。
毎日が同じように流れて行く。
でも昨日とはほんの少し違う今日。
筆をとり、今日もキャンバスに一本の線を走らせる。
そうして今日の絵が出来上がって行く。
その絵は次の日には昨日の絵になって流れて行く。
そんななんの変哲もないいつもの行動が
未来を創って行く。
当たり前の日常に感謝をする。
2014年10月20日 朝カフェ

86 一歩

一歩

最初から大きな前進はない

ランニングの話しをよくするけれど、
あれは本当に一歩の積み重ねを簡単に実感するのに適した行動だ。
僕のペースだと、小さな一歩を二時間も積み重ねればハーフマラソンの距離になる。
いきなり20キロ進むことは難しかった少しずつ距離を伸ばしてきた。

おおきな前進を最初から期待するのは不可能だし、パワーの無駄遣いだ。
宝クジとかギャンブルとかはそういうこともあるのかもしれない。
僕はギャンブルの類が苦手なのでなにをするにしても一歩一歩を大切にする。
物を販売することに関してもそうだ。最初から100個、
1000個売るというプレッシャーを持つ必要はないし、
そんなプレッシャーを他人に与えることもあまり健康的ではないと思う。
最初は一つ売れればすごいことだ。成功する確率が何倍にも跳ね上がる。
もちろんその規模を拡大していくことは容易ではない。
ただし二個、3個と販売数をジワジワと伸ばす企画を打ち続けるようにすればいい。
たった一つの小さな成功を作ることに全ての力を込める。
夢はこの連続で叶っていくのである。

2014年9月25日木曜日 渋谷雨

85 競争

競争

誰かに勝つということ

僕はなによりも競争が嫌いだ。


父は将棋、囲碁、野球などの勝負ごとが好きだ。
逆に僕はサッカーにしろじゃんけんにしろ、
誰かと勝ち負けを競う行動や遊びが苦手だと感じていた。


、、、と思い込んでいた。
夢を掴むということはもしかしたら他の誰かに、
また、何かにかつということなのかもしれない。
オリンピックでも、ワールドカップでも日本を応援してしまう。
受験争いも勝ち抜く必要がある。
昇進だって経済活動だって発明だって誰かよりも秀でなければ
思い通りの夢にとうたつできないかもしれない。
そんな社会の中で僕は競争が嫌いだと思ってきた。
ストレングスファインダーという自分の才能を見つける本で判明したんだけれど、
僕は人一倍競争性が強く、その能力が強みだったのだ。
つまり負ける競争は嫌い、ということだ。
この事実は衝撃で、ならば勝ちにいくために
自分が本当に勝ちたいと感じるフィールドに対しては徹底的に突き詰めるようにした。
突き詰めて少しでも秀でた状態て勝負する。
負ける勝負はしない。どうせやるなら勝ちたい、そう思う。
2014年9月23日浜町

84 孤独

孤独

誰も見ていない一人の時間

僕はものすごく寂しがりやなので、なるべく誰かといたいと思っている。
けれどある年齢から人は友達どおしで積極的につるむということを辞める。
結婚や出産、転勤や転職など理由は様々だが、そのラインは僕の場合20代後半だった。
同世代の友達とはなかなか会うことができなくなっていく。
経営者という仕事は孤独であるというが、
画家も一人の世界でもくもくとモノ作りを行うので基本的にはかなり孤独だ。
この孤独が大切でもあるので、切っても切れないのは明らかだ。だから夢を目指す過程において、
孤独と仲良しにならないといけないタイミングというのが必ずやってくる。
誰かのために時間を使っている時、自分の時間を犠牲にしている時もある。
夢を目指している時、他人に時間を使うことができない状態になる時がある。
一人でいる時間に手抜きをしてしまう時もあった。でもその度に自分に対して失望してしまう。
一人の時間にかっこ悪い行動をしてしまうと自分にあきれられてしまう。
一人の時間にどのように過ごすか。誰も見ていない中でどうかっこつけるか。
誰よりも自分がその自分の行動を見ている。
自分に愛想を着かされないように行動に慎重になる必要がある。
あなたが一人で過ごしている時に世界はあなたを試している。

2014年9月21日(日)渋谷 一人誕生日笑

83 順番

順番

好きなものからだと楽しい

友達からの受け売り。僕はたまたま食事をする時に好きなものから順に食べる癖がある。大人になってからは嫌いなものは残す傾向にある。お腹が一杯になって好きなものを食べきれない、という事態はほとんど皆無だ。
友達が教えてくれたのだけれど、それはとてもいいことだと言う。食事に限らず、人生の道にも応用できることだ。自分にとって好き、とかわくわくする、といった感覚はいつでも現れる訳ではない。わくわくする出来事なんて一ヶ月に一回もあったらいいほうかもしれない。毎日わくわくしているのがベストだけれど、なかなかそうじゃない日も多いと思う。
嫌なことから先に済ませることも悪くはない。けれど楽しいことから選択していけば、常に常に楽しいことが選択肢のトップにあがってくるはずだと。
食事をする時、1番好きなものが食べ終わった時、 2番目に好きな食べ物を食べることができる。その次に最も好きなものへと食べ進むことができる。
常に常にどちらかというと好き、な方を選択することが可能になるという訳だ。
順番は人それぞれ自由だけれど、僕は大好きなもの、ことから順番に選択して行こうと思う。
2014年9月9日

82 為に

為に

誰かのために



僕は自分のことが好きだからアーティストみたいな、自我の強い仕事、活動を行っているわけで、他人のことなどどうでもよいと考えているのかと思っていた。これは極論であるが、学生の頃は得に自分のことしか考えていなかったなと思う。大人になってからも、「この人と付き合ったら周りの人が一目置いてくれそうだ」などと、仕事でも仲間でも恋愛でも、結果的に自分がどう思われるか、であった。大人になって、自分が一人になったタイミングがあった。恋人がいない、家族が遠い、友達は家族のことでいっぱいいっぱい。

周りから人がいなくなり、自分は自分のためにしか行動する必要がなくなった。

仕事も自分が生きるために、お金を稼ぐために行った。

絵を描くことも自分がこの先で大成功できるかもしれない、そんな想いだけ描いた。絵を見た人がどう感じるか、当初考えていた「絵を見た人がほっこり幸せになるように」

という想いをもって絵を描くことがなくなったのだ。その瞬間、自分がこの世界に存在する必要がなくなってしまった。自分が自分のために行動を起こすようになったとき、存在していなくてもよくなってしまうのだ。人間とは誰かのために労を厭わず行動をしているから生きていられるのである。それが苦しくとも、それが生きがいになっているのだ。

僕たちは決して楽をして生きていきたいのではない。

ぽっかりと明いた心の中に、完全に理解できたことがあった。

「もし今お金が、使い切れないくらい手元にあったとして、自分のために使いたいとは思わない。お金がたくさんあっても使い道を理解していなかったら、それは本当に不幸そのものだ。」



誰かのために運動をして身体を鍛えることは楽しかったんだ。

自分がもてるために身体を磨くのは面白くなくて続かないんだ。

自分のために絵を描いていてもただの作業のように感じる。

誰かに見てもらってその人が感動するから絵を描くことができるんだ。

鳥取での展示会が楽しかったのは、芹沢に自慢できることと、小西さんが喜んで¥くれたからだ。ただ実績を作りたい、という理由で展示会を行っている場合は本当にくだらない。ただの引越し作業になってしまうんだ。

12年に世界一周をした時は、メーカーさんからの依頼で、絵を商品に使うから、本当に素晴らしい商品を創りたいという願いがあったから、旅をしていて最高にドキドキしたんだ。

13年に一蹴した時は、自分の将来のために必要だという理由だったから、へとへとになったんだ。

自分のためになにかをしている時、そこまで心が震えるということはない。

誰かのために行動している時だけ心は震えるのだ。

81 限界

限界

自分で気付いていない自分が行くことのできる領域

知らぬ間に自分の中にリミットを創ってしまうもので、
気付いた時には本当にそのリミットを超えることのできない
年齢になってしまっていたりするかもしれない。
たいていのリミットは自分のこれまでの経験が創造した根拠のない

「できない」ことだ。

かくゆう僕もそんなリミットの連続で自分の幅を小さくまとめてしまっているタイプだ。

基本的にはそういうタイプだから、定期的にそのリミットが本当に

正しいリミットなのかを点検するようにする。

その方法は自分の大好きな領域で試すのがいいだろう。

僕の場合はランニングである。

僕は長い間ランニングが好きで続けているけれど、いつも5km程度で終了するようにしていた。

この5kmというのは最初に就職した会社の部長が週末にやっていたランニングの距離で、

「一般的な社会人の趣味のランニングとは5kmくらいでいいんだな」

という思い込みを持ち続けていた。

だけど自分のリミットは別に5kmである必要はないんだ、そんな単純なことに気付く

ことに10年かかった。今その距離は15kmくらいに伸びてきている。

大したことはないけれど、5km以上走ることができた現実は個人的には驚くべきことだった。



僕たちは特に夢に対しては臆病だ。夢に対するリミットのひきかたは尋常ではない。

思い描いている夢に向かうことすらしない人が多い。

夢を叶えることが目的ではないけれど、夢を持ったのであれば、少しずつでも進んでいくほうがかっこいい。

その方向性の中で時にはリミットを外してみよう。

知らない間にブレーキをかけている。(このブレーキももちろん大切)

限界を超えよう。

2014年9月1日(月)

エピローグ

【世界を描く理由について】

彼は小さい頃から絵を描いて生きてきました。
昔は好きなものや好きな人のことや、きれいな景色を素直に描いていまいした。
そして今は世界遺産という景観をモチーフに絵を描くようになりました。
当初世界遺産を描き始めた頃はその景観の壮大さに惹かれていたことが大きかったでしょう。
今は世界遺産の意図に強く共感をして絵を描いています。
彼が描きたいと思うのは美しくハッピーなこの世界そのものです。

「世界遺産」という概念のコンセプトをご存知でしょうか。

国境を超えて、地球人として、世界中に存在する遺産を守り、
受け継ぎ、地球の品位を守っていくものです。世界中の人が助け合って、
世界中の文化を理解して、世界中の人と手をつないで、
人類と地球の宝物を守り受け継いで行こうとする活動です。
彼はそんなコンセプトに惹かれてそのモチーフを描くようになったのです。

地球人としてこの大地に存在して、地球人として、仲良く暮らして行く。

世界は美しい。人間は美しい。この地球は楽しくて素晴らしいものに満ちあふれています。
隣の人との競争や、国境に惑わされて戦ったりする必要はありません。
それでも我々人間は大小問わず日々戦争を行っています。
競争なんてしなくていい。「勝つ」ということは「負ける」人がいるという現実を創ります。
お金のような紙に踊らされて、既に手にしている多大な幸福に目を向けないなんてもったいない。
隣の芝にばかり気を取られないで、太陽の日差しを浴びて、
美味しいものを食べて、人や動物、この世界を愛して生きていけばいい。

シンプルに日々を楽しむ。
そばにあるものに感謝をする。
大自然と共に生きる。

今生きている、そのことがどんなに幸せかを感じられたらそれでいいでしょう。
彼は、現代に存在する、小さなひとりの絵描きとして、
鮮やかな色を通して、そんな思いを絵に落としているのです。

更新:2014年7月26日
初記:2014年7月1日

【好きな教訓 カーネギーさんの本より】
1 今日だけは、幸福でいよう。リンカーンは「たいていの人々は、自分で決心した程度だけ幸福になれる」と言ったが、まったく至言である。幸福は内部から生じる。外側のことがらではない。

2 今日だけは、自分自身をその場の状況に順応させて、自分の欲望のためにすべてを順応させることを控えよう。自分の家族も仕事も運も、あるがままに受け入れて、自分をそれに合わせよう。

3 今日だけは身体に気をつけよう。運動をし、身体を大切にし、栄養を取ろう。肉体を酷使したり、軽視することはつつしもう。そうすれば、身体は意のままに動く完全な機械になるだろう。

4 今日だけは、自分の精神を鍛えよう。何か有益なことを学び取ろう。指針的な無精者にはなるまい。努力と思考と集中力を必要とするものを読もう。

5 今日だけは、魂の訓練のために3つのことをしよう。だれかに親切をほどこし、気付かれないようにしよう。ウィリアム・ジェームスが教えているように、修養のために少なくとも2つは自分のしたくないことをしよう。

6 今日だけは、愛想よくしよう。できるかぎり晴やかな顔をし、おだやかな口調で話し、礼儀正しくふるまい、惜しげなく人を褒めよう。他人の批判やアラ探しをつつしみ、他人を規則でしばったり、戒めたりすることをやめよう。

7 今日だけは、今日一日だけを生き抜くことにして、人生のあらゆる問題に同時に取り組むことをやめよう。一生のあいだつづけるとしたら、いや気のさすような問題でも、12時間ならばがまんできる。

8 今日だけは、一日の計画を立てよう。処理すべき仕事を1時間ごとに書き出そう。予定どおりにはいかないかもしれないが、ともかくやってみよう。そうすれば、2つの悪癖―拙速と優柔不断と縁が切れるかもしれない。

9 今日だけは、たったひとりで静かにくつろぐ時間を30分dけ生み出そう。この時間を使い、ときには神について考えよう。人生に対する正しい認識が得られるかもしれない。

10 今日だけは、恐れないようにしよう。とくに幸福になることをおそれたり、美しいものを楽しむことを恐れたり、愛することを恐れたり、私の愛する人が私を愛していると信じることを恐れないようにしよう。

夢を叶える絵

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1311 夢を叶える絵 夢

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1401 夢を叶える絵 夢

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1402 夢を叶える絵 パートナー

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1403 夢を叶える絵 夢

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1403 夢を叶える絵 理想の家

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1404 夢を叶える絵 理想の室内

80 忍耐

忍耐

すぐに結果は出ない。

すぐに出る結果はすぐに変化する。人間という限界のある物体として存在している限り、
忍耐強いことが最も強い才能であるといってもいい。
自分の今の力を認めて進む。
もしも人間の脳にアンドロイドのような
人口知能が備え付けられるような時代になったとしたら、忍耐よりもスピードになるのかもしれない。
現在の僕たちの脳は覚えられる範囲と生きられる時間が決まっているだから
じわじわと力を貯めていくことが本当に大切だ。忍耐強さにスピードも加わると無敵だと思う。
日々スピーディに自分の極めたい道を地道に重ねて行く。
10年、20年たった時にその力は他人よりも圧倒的にリードする。その道はどんな道でも構わないけど、
自分がわくわくすることが大切だ。
自分がわくわくしない道で忍耐強く進むことは本当に難しいことだからだ。

走るように歩こう。
歩くように走ろう。

ゆっくりと忍耐強く、そしてスピーディに毎日の波に乗る。
2014年7月10日(木)8:13

79 答え

答え

いつも自分の中にある。

人が思うように動かない時、自分の思い通りに物事が運ばない時、
僕たちはそれを自分のせいにできているだろうか。
自分の責任であると口では言っていてもやはり心のどこかで
自分の外にあるもののせいにしてしまったりするのではないか。これは断言できる。
物事や人が自分が思った通りに動かない時、その結果を招いたのは自分自身だ。
自分がその結果を望んだといってもいいかもしれない。意識をコントロールすることは難しいけど、
現実に起こっていることは全て自分の頭の中が創り出したものだ。
その現実に対してどのように反応するのかを決めることができるし、
全ての現実は、自分の夢のために大いに生かすことができる。
予想していたことよりも過酷だとしても、夢や目標に対して一見関係のないように見えても、
その現実に真剣に向き合って、自分の目標を見失わないように、
責任はいつも自分の中にあり、
どのような結果も自分が招いているということをしっかりと覚えておくことは有意義だ。
2014年6月23日

78 余裕

余裕

意識してゆったりと過ごす

毎日通勤してバリバリ働いている中で、意識していないと心の余裕がなくなる。
そんなことをこないだ感じるできごとに出逢った。
僕は一応、人に自慢できるくらいあえて心の余裕を作っている人だ。
焦っても焦らなくても結果は同じだと心に決めていて、基本的に焦ることはないはずだった。
だけど、つい最近あろうことか地下鉄に飛び乗ってしまった。
ドアはすり抜けられたけど、バックパックが挟まってしまった。
僕はこの時、恐怖を感じた。僕は焦ってしまっている。
この電車に乗れないことが後の全てに影響を及ぼすと感じたからしまる瞬間に飛び乗ってしまったのだ。
いつもは飛び乗りをしてくる人を白い目で見つめているような
そんな感じの悪い自分がいるにも関わらず、自分がその加害者になってしまった。
完全にふとしたことだった。イヤホンをつけていて、あまり音が聞こえていなかったこともある。
それにしても後数秒でドアがしまることは感じ取っていた。
知らない間に焦る心が生まれている。
余裕のある心はもちろん意識して持つものではないのかもしれない。
少なくともあの電車に乗らなくても10分以内に次の電車が来て、
目的地には同じように着くのだ。焦っても結果はほぼ同じだ。
焦ってその電車を止めてしまっていたら、10分どころか、30分も一時間も、
下手をすれば目的地に辿り着くことすらできない。
しかし焦りは自然に心に生まれている。自分では、
かなり意識していないと気付くことすらないかもしれない。
僕は挟まれたバックパックを抜き取って、
知らんぷりしてつり革を掴む。

2014年6月17日 自宅にて

77 利己

利己

自分の心を動かせないと人の心は動かない。

人のため、自分のため。今自分が行っている活動や
仕事が誰のために行っているか考えたことがあるだろうか。

僕はよくそのことについて考えていることがあった。
僕はよく自分の心が満たされることよりも先に
誰かの心を満たすための行動を起こすことがあった。
誰かのためになにかをしたいという心理で行動していた。

時には見たことのない誰かのため?
時には家族のため?
時には自分だけのため?
時にはパートナーのため?
時には地球のため?

もちろんその気持ちは自分の心を満たすことも前提としていたはずだった。

絵を描く活動については、自分と自分のそばにいる人を
少しでも楽しい気持ちにすることが目的だ。

だからのこの絵はどう感じるのかな、とか、この色はどう伝わるのかな、
とか見る人が楽しくなるような絵になるようにいつも気を回しているつもりだった。

ところがある時点からそんな気持ちで描いた絵がなんとなく
自分の心を満たしていないことに気がついたのだ。

他人のことを考えすぎて、自分のわがままな気持ちを抑えて活動をしていることに気がつく。

自分の心がわくわくしていないものは
他人が見ていて楽しい気持ちになるだろうか。
個人のわくわくは必ず伝わっている。なにかを創造する人は、
本当に心から楽しいと感じながらそのものを創っていない限り、
相手にその中途半端な思いが伝わってしまうのだ。
自分の行動で誰かを満たしてあげたいとき、
まず自分がその行動を心から愛してわくわくしている必要がある。

利己のために活動することは悪いことではない。
自分を無視して利他を唱えてもその心は伝わらない。

この順番を間違えてはいけない。自分の心を満たしたあと、
心のタンクから溢れ出た分だけ、
他人にも幸せを分け与えることができる。

2014年6月22日(日)雨

76 負荷

負荷

あまり無理をしない

過渡な刺激や負荷は若い時はどんどんかけるべきな気もする。まずその負荷を知った上で大人になって様々な境遇にあたるのは意味がある。辛いことはなるべく若いうちに経験してしまえばいい。
でももしかしたら、辛いことなんて一生なくても構わないかもしれない。自分にとって過剰な負荷だと感じることは一生なくてもいいのかもしれない。
僕は小さいころから自分の嫌と感じることをすることが多かった。勉強もいやだったけどそれなりにやった。それなりにやっていると、好きとまではいかないけど得意になってくるもので、次第に負荷が小さくなっていくのを感じる。
絵を描くことはなんの負荷もなかったかというとそうでもない。大学に入るためにデッサンをやっていたころは何時間もかけて精密な鉛筆の絵を仕上げるはやはり大変だった。
それでもうまく描けると褒めてもらえるからやる。うまく描けないと酷評がかえってくるからやる。
僕はトレーニングやランニングが好きだ。だけど、最近までトレーニングのやり方を間違っていたことに気付いた。身体が耐えられる負荷以上の重さを課していたので、本来使われるべき筋肉が動いていなかった。少し負荷を減らすと鍛えたい部分に心地よい負荷がかかる。
好きな絵も「あきてきた」と感じたらすぐにやめる。好きなことこそ、負荷をかけすぎないよう細心の注意を払う。パートナーシップもそうかもしれない。食事もお腹に負荷をかけないように調整したほうがいい。
なんでも過剰はよくない。心地のよい負荷を把握する。
2014年5月16日 ルクセンブルク行きの列車にて

76 諦め

諦め

自分で動かせないことに時間を使わない

僕は人を動かすことが苦手だ。
人は本当に動かないし、自分にリーダーシップのようなものが
本当に備わっていないと思う。
人は動かすものじゃないと思っているし、
それぞれみんなが主体的に動いていれば、わざわざ頼む必要もなく、
人は動いているように思える。リーダーがいるから社会は成り立っているので、
人を動かすことが悪いとかそういう話ではない。

他人との関係の中で、自分の頭では割り切れないような
不快な思いを感じることがある。
そんな時に相手に対して怒ったり指摘しても
変えることが難しいことが難しいこともしばしばあるだろう。

他人というものは、たとえパートナーであっても、
本当に変えることが難しいし、
他人を変えようと努力しても実に時間の無駄になることがある。

自分はこう思っているのに、どうして相手はそうじゃないんだろう。
時間の節約のためにも、他人をとやかく詮索するのではなく、
そのことを事実として今は受け止めることが懸命だろう。

また半年後くらいに再開した時にまだ、
その時のことを覚えているようであれば、
とても素敵な笑い話をお互いにできるはずだ。

自分を変えよう。
他人を変える努力はやめて。
自分の力で今日、動かせることに力を注ごう。

2014年4月15日(火)

75 挑戦

挑戦

めんどくさいと思ったら進む。

やったことのないことをする時には必ずめんどくさい感覚が訪れる。
どの挑戦の度合いにもよるけれど、恐怖の感情も芽生えて来る。
恐怖の感情はその挑戦を間違いだと自分に強く語りかけてくるし、
失敗したら周りの目もものすごく気になる。挑戦の後にまっているものは少しの成長であり、
必ずしも目に見えるものではないかもしれない。
積み重ねというのは本当にしんどけれど、
どんなことをするに当たっても最初は誰でもゼロなんだ。年齢にもよるけれど、
このゼロの状態とか、失敗ってものすごく恥ずかしかったりす
る。やっぱり挑戦しやすいのは若いうちなのかもしれないけれど、
他人の目を気にしている時間なんて、この短い人生の中にはないんだ。
自分がやりたいと思ったことは必ず、少しめんどくさいと思ったことは
自分が成長する可能性のあることかもしれない。その挑戦に恐怖を感じるならば、
多分それは大きな前進に繋がっている。
挑戦を続ける人は美しい。失敗をする人はかっこいい。壁に当たって悩む人は強い。
緊張できる人生は素晴らしい。

2014年4月12日(土)二子玉川

74 成長

成長

どこまでも続く道

水と同じで人間は、ずっと同じ状態では腐ってしまう
100年に満たないようなとても短い人生だけど、たくさんの成長を経験していく。
身体の成長は20歳を起点に後退していくかもしれない。
身体は魂を入れている単なる入れ物で、車を操縦しているようなものだ。
だからメンテナンスをしていないとどんどん動かなくなる。
ココロや知識は身体と違って何歳になっても成長を続けて行くことができる。
美しい水のようにどんどん流れて行くことが出来る。流れて行くココロはやがて美しい花を咲かせる。
美しい花を咲かせることがゴールではなく、また別のどこかに成長を伴って流れて行く。
なんでも同じことを繰り返すことは大切だ。
そのルーティンの中から少しずつの変化が生まれて、その変化に対応して成長を続けるようにする。
固定観念に囚われて、それ以上の向上を望まないという道もあるだろう。
僕の周りには「世界を変えたい」と考えている人がたくさんいる。
僕はその意見に賛同できる部分と賛同できない部分があるけれど、
いつも自分に負荷をかけて、自分の暮らす世界を
よりよくしたいと願う気持ちはものすごく素晴らしいと思う。
絵を描くという作業は時に、成長ができなくて行き詰まる時がある。
無心に同じものを描くことはとても大切だけど、新しい技法や、
新しい構図にチャレンジしていくこともまた、大切だと思う。
僕は「世界遺産」をテーマに絵を描いているけれど、
このコンセプトを成長させる日が近づいていると思う。
どのような変革かはまだ定まっていないけど、
もっと自分にしかできない世界観を表現することなのかもしれない。
誰かを楽しくさせたい。誰かを驚かせたい。美しい世界をもっと描きたい。
成長は成功以上に大切な生き方の教科書だ。成長を続けよう。成長を続けよう。

2014年3月24日(月)

73 姿勢

姿勢

まっすぐに生きる

大正時代からカイロプラクティックで予防医学を
唱える素晴らしい仲野先生が、
僕の身体を診察してくれる機会に出逢った。

僕は自分の身体、健康状態に関しては自信があったけれど、
骨のゆがみや体型にはほとんど自信がなかった。
案の定背骨は曲がっている、
足の付け根が固すぎる、
座ったときの姿勢がおかしい、
腕の位置が前にいきすぎて、正常な位置に戻す必要があるなど、

あらゆる姿勢の悪さが露呈した。
それはショックであると同時に
もう本当に気持ちのよい感覚だ。
これからその曲がった身体をどんどんまっすぐに戻して行く。
健康的で、しっかりと筋肉の使える身体に整えていく。

魂は熱く煮えたぎっていても
身体が曲がっているとできることもどんどん曲がって来る。
クオリティが上がらない、
寿命が短くなるなどデメリットがいっぱいだ。

先生は、姿勢を正せば
「人生そのものが変わる」という。
これはその通りだと確信している。

まっすぐな信念を創るために
姿勢をしっかりと正すことはものすごく有意義だ。

パソコンで作業をしている時、
人前でプレゼンをする時、
食事の時も
寝る時も正しい姿勢で生活を行う。

まっすぐに整った身体は
あなたの夢を叶えるための行動を
ハイスペックに処理することが出来る。


2014年3月21日(金)新宿御苑

72 自信

自信

いくつもの壁を乗り越えろ

僕は個人的に、自信には2種類あると思っている。

視野が狭いことによる言わば勘違いの自信
なにかをクリアしたことによる深みのある自信

これまでにたくさんの自己啓発本やビジネス書を読んだ。
多くの人が人生の中で道に迷った時、
(特に男性のような気がするけど)

そういう類いの本をたくさん読み込む時期がある。
僕の世代の場合は30歳になる手前くらいだった。

自分の人生はこれで良かったのか。
自分に時間がないのはなぜだろうか。
どうして自分の口座にはいつもあまりお金が入っていないのか。
自分にとって本当にやりたいことはなんだっただろうか。
どうして自分は他人からあまり好かれていないのだろうか。

何年か生きているとこういった疑問は沸き上がってくるものだ。
たくさん自分と対話してたくさん人の本を読んでこういった問題
をクリアしていくのはとてもよいこだと思う。
クリアしないでなにもしないで人生を過ごしていくのとは大きな違いがある。

確かになにかを成し遂げなければいけないなんてことはない。
ココロが満たされている状態ならば、悩む必要なんてない。

自分のことを深く考えている人には訪れるこの
神様からのプレゼントのような難題に突き当たれたことは
とてもラッキーなことと捉えて
健全に前に進む方法を探す。

本当の自信とはこのような悩みがない状態でないと創られることはない。
もしくは、このような根本的な悩みをクリアする前に
シンプルな思考の中で生まれる言わば、勘違いの自信というものもある。
勘違いの自信は長続きすることはない。
状況が変わると自信も崩れてしまうことがある。

悩み、壁、失敗などが起こった時、
あなたは本当の自信を製造する行程の中にいることになる。
乗り越えるかどうかは選択することができるし、
自信のある状態が必ずしもいいというわけでもないだろう。

ただ、僕は、壁を乗り越えて、自信を持つ道を選ぶ。

2014年3月20日(木)雨 二子玉川

71 他人

他人

世界を変える方法

この世界では自分の力ではどうにもならないことの方が多い。
これは物理的には実にその通りで、
他人を動かすことは至難の技だ。
自分以外の人を動かしたり、
自分の周り以外の世界を変えるなんてことは、
少なくとも僕には到底できない。

実は僕は世界は変えられないと本当に思っているし、
変えたいと思っていない。
僕が想像し得るどんなことをしても
この世界を変えることはできないような気がなんとなくしていた。

もちろん僕が暴走して6万人くらいの人を殺害するような
悲劇を生んでしまったら、それは世界が変わったことになるかもしれないけれど、
その未来は絶対に訪れないことを僕は知っている。

壮大なことを考える前に、目の前の人間のことで頭がいっぱいになる。
恋愛でも仕事でも近所付き合いでもそう。
自分の親でも、兄弟でも、相手のことはよく分からない。

もちろん分かっていることも多いし、
近親者ほどシンクロして行動を供にすることは容易なのは確かだ。

それでも、相手のことを完全に把握して行動を予測したり、
自分の都合のいいように物事を動かすことができないことが多い。
他人のことは自分の思惑ではコントロールできない。

もしも他人を、世界を変えることができるのだとしたら、
自分自身の思考を自分の都合のいいようにコントロールするしかない。

もしも片思いの女性からメールが返ってこなかったとする。
「あーめっちゃ忙しくしてて、ココロを込めて返事してくれようとしてくれてるやなあ」

こんな感じの想像をもって自分に都合のよい世界に変えてしまう。
些細なことだけれど、世界を変えるには自分のマインドを
コントロールするのが一番早い。
夢を叶えるという感覚もかなり近いものがある。

2014年3月19日(水)朝カフェ

70 東京

東京

夢を叶え易い場所(2014年現在)

田舎ものの僕にとって東京という場所は
ものすごく憧れで遠い場所だった。
自分が東京に行きたいと憧れていた時代は
インターネットがなかった時代だものだから、余計にそう感じられたものだ。
東京に来て10年くらいになる。

この先どれくらいこの場所で過ごすかは分からないけれど、
夢を追いかける人にとって、
東京という場所は本当に素晴らしいチャンスがたくさん落ちている場所であると言えるだろう。
逆に田舎から出てきて、特別な夢がない人にとってはかなりしんどい場所になることも多い。

ものすごく人が多くて、ものすごく家が狭くて、空気も結構悪い。
田舎での方が遥かに少ない予算で、いい暮らしができる。
僕の友人たちもほんとんどが田舎で幸せそうにくらしている。

それでも僕は東京が大好きだ。理由は一つで、この場所のすべてがかっこいいと思っているからだ。
友達はみんなかっこいい。景観もかっこいい。
歴史もかっこいい。世界的に一番かっこいい都市だ。

僕はこの場所で自分の夢を追いかけることに決めた。
30代は東京で走ろうと。
未来は分からない。ずっと東京かと言われると違うだろう。

だけど今は
日本のこの場所が僕のプロモーションフィールドだ。
今日も満員電車でも、
今日も空気が悪くても
太陽は同じように当たっているこの東京で夢を叶える活動を行う。

2014年3月18日(火)田町

69 出逢

出逢

すべての人には遭えないけど、誰にでも遭える

あなたは、今この人に遭いたい!
という風に感じることはありますか?
今この時はどうでしょうか。
少し先の未来ではその人に遭うことができますか?
人に遭いたいと感じるココロには
様々な理由があると思います。
恋愛、絆、友情、尊敬、広がり、お金…。

僕たちの世界を僕たちの目線でみた時には
自分と自分以外の外部の力によってもたらされるものです。
だから出逢いという出来事は自分が生きていく上で
この上なく重要でインパクトがあると言えるでしょう。

自分一人で存在していても何も起こらないし、
なにも経験することができません。
この世界では出逢いが重要なのです。

重要な出逢いを見極めるためにあなたがしていることはありますか?
あなたは「最近出逢いがない」と呟いてはいませんか?

出逢いがない人は出逢う機会を自分で作っていないのだと思います。
おそらく誰かに遭いたいという気持ちは誰でも、
基本的にいつももっているものです。

それがテレビの向こうのアイドルでも構わないでしょう。
あなたがテレビを見ている時にそのアイドルに出逢ったのだとしたら、
あなたは、あなたが遭いたいと感じているその人から、
大きな力を受け取っているということを意識するようにしましょう。

あなたは既にその人に出逢い、新しい道を見出している状態にあります。

もしもあなたが出逢いたいと素直に感じる相手がいたら、
素直にその気持ちを相手に伝えます。
するとどちらにせよ、相手から反応が返ってきます。
それが、「遭えない」にせよ、「無反応」にせよ、
あなたが起こした行動が生み出した力が世界に生じます。

出逢いは自分自身でどんどん生み出すことができます。
手紙でも、メールでも、Facebookでも、電話でも、
遭いたい感じる人には出逢うためのアクションを起こしてみましょう。

あなたが遭いたいと感じるその人は
あなたが素晴らしい未来を進むための
キーパーソンであることは間違いないのですから。

2014年3月17日(月) 神楽坂


68 季節

季節

風や香を楽しむように

東京で生きていると特に仕事に夢中になっていたりする。
季節の変わり目は確かに意識しているけれど、
深く深呼吸して周りの空気を味わう。
何もない場所から吹いて来る風をココロから味わうようにする。

幸運なことに僕の住んでいる日本という座標では
四つの季節を味わうことができる。
春、夏、秋、冬それぞれの季節を楽しむことは
生活を豊かにする。
それぞれの季節で訪れる太陽は少し違った表情を見せる。

早く起きる理由が仕事のためだけではなくて、
その季節の気温を感じるためにする。
世界は自分のためにたくさんの
美しい風を運んで来てくれる。

そういった感覚をいつも感じられるように
自分の中に用意しておくといい。
大切なことはお金を稼ぐための行動だけではなくて、
この世界の中に自分が存在していることを
世界の状況を通じて感じることだ。

季節の風、香り、色彩、温度、味覚を深く深く、
肌で感じるようにする。

2014年3月16日(日)16:00 新宿御苑

67 幸福

幸福

今幸福であることを認める

しあわせはいつまで続くのかわからなくて不安になったりする。
けれどあなたの今がもし幸運にも幸せならば
その今をふんだんに味わえばいい。
いつまで続くのかを考えるのは時間の無駄だ。
個人的なこれまでの経験の中で目の前の幸せを
味わいきれずに、未来への不安や未来への変化を
恐れたり、希望を抱いたりして、「今の幸福」を感じることが
へたくそだった。
「あ〜幸せやなあ」
と言葉にはしていても
やはりココロのどこかで未来のことも同時に想像してしまう。
僕は未来志向という性格を持っているのでその傾向が強いとも言える。
だけど未来のことばかり考えても仕方がない。
過去のことは論外だけど。

どんなことも今の積み重ねによって形成される。
山にやったり谷になったり
歴史でも人生でも時間を伴う行動は必ず浮き沈みをする。
だからせめて、今幸福であるならば、
その幸福をココロの底から受け入れて
そのまま飲み込めばいい。
「ずっと続きますように」
なんて願う必要もない。
なぜならば、今という時間の中には
過去も未来も全てが同時に含まれているからだ。
過去の積み重ねによって今は創られる。
そして今の積み重ねによって未来は創られる。

今、幸せとココロから感じることができれば、
あなたの全ては幸せで満たされる。

夢が叶わない状態が不運なのではなく、
ココロの底から幸福を味わうことができないことが
不幸なのである。

2014年3月12日(水)

66 繰返

繰返

何事もルーティンでできている

絵を描くということも、平凡に同じ毎日を暮らすということも
同じ繰り返しに作業だ。
ルーティンワークというといい響きではなくて、
同じ仕事の繰り返しのようになってしまうので、
会社員時代もなるべく避けたいと思っていたし、
今もまったく楽しくもないルーティンはごめん蒙りたい。
だけど、僕たち人間は

食べて、働いて、眠る

といったルーティンを無意識に繰り返している
生き物である。呼吸する生き物は全て繰り返しの行動を行っている。
あらゆる行動は繰り返しであり、
そもそも我々はいったり来たりしているだけだ。

季節だって一年単位で同じように繰り返しやってくる。
太陽は毎日同じように僕たちを照らすためにやってくる。
地球は休むことなく回転を続けている。
宇宙も何億年という単位で破壊と創造を繰り返す。

繰り返しという行動は僕たちの世界観の中では
ものすごく大切なことであり、
あまり乱れていない方が
安定した、居心地のよい状態を作り上げることができる。

だけど、人間は同じことを繰り返すと、
やがてつまらなくなる。

僕たちはもちろんなんの変哲もない毎日を繰り返すことはできない。
僕たちは幸せというルーティンの中に長くいることはできない。
一定の期間ごとに新しい刺激をもとめて、
本来の素晴らしい道からそれてみたりする。

そしてとても辛い経験をしたりして、
安定に焦がれて戻ってくる。
この行動もまさに呼吸、繰り返しそのものだ。

夢を叶えてもまた次の夢を求めて進んで行く。
学ぶことも、働くことも、創造することも、お金を稼ぐことも
人を愛することも
全ては健康的な繰り返しの中から生まれる宝物なんだ。

2014年3月10日(月) 表参道19:25

65 感謝

感謝

夢について語ろう

個人的な夢を叶えるということだけでは僕たちはなかなか満足できない。
実は僕の最終目標というか、最終的な夢のひとつとして、
誰かのためになるならば、自分の夢を捨てられる日がくる
ことを懇願している自分がいる。
人間は欲深いから、いくらでもモノやコトを欲することができる。
だけど、死ぬまでなにかを欲し続けるのはとても苦しいのではないかと思う。

僕は父をとても尊敬していて、様々な尊敬ポイントがあるのだけど、
最も尊敬しているポイントは、
「多くを欲していない」
ように見えるところである。これはとても勉強になるなあと思っていて、
僕が物心ついた時にはもうすでにその状態になっていた。
彼は子供元気でいればもうそれでいい、という雰囲気を醸し出している。

もしも僕がこのまま大人になったら、
彼と同い年くらいになっても
「●●国に行きたいなあ〜」とか「あの車かっこいいな、買い替えたいな」
とか言っていて、これも夢のひとつとしてカウントしているに違いない。

欲や夢を持っていることは本当に素敵なことだけれど、
実は身近な人と身近な場所に感謝をしながら生きていくことの方が
よっぽど大事なことなんだろうなと思う。
夢や目標は現状を変化させようとする力ではなくて、
この身近な現状を守ったり、キープしたり、周りの人を幸せにするようなものでなければ、
あまり意味がない。
そして、利己的な夢はその人だけでなく、周りの人も幸福にしない可能性がある。

夢を持つことや叶えることが大切なのではなくて、
身の回りの幸せにまず、そして、これからもずっと
感謝をすることが大前提なのである。

2014年3月10日(月)朝カフェ

64 納得

納得

世界を創り上げるのはあなたの中のココロ

夢を形にしていくためには毎日の小さな完了が本当に大事で、
これがチリも積もればの所以であると考えている。
しかし、多くの行動は、このチリにすら満たないで
ハラリハラリと流れて行ってしまうように感じる。
これは完了という行程まで達していないことごが原因である。
完了させるために最も大事なことはなんだろうか。

今の教育は分からないけれど、
僕たちの時代は、中学校の高学年の英語のクラスで
「現在完了」や「過去完了」といった
完了系に関することを学んだ。
大人になってからこの「現在完了」という授業をもう一度カナダで
習い直すはめになるのだが、この言葉の英語読みをその時に初めて聞いてはっとしたことを覚えている。
現在完了という言葉は英語で

present perfect である。

完了=パーフェクト、であるということはこの言葉から感じたことでもあった。

ではこの完了=パーフェクトな状態をいつもいつも感じ、創り上げて行くために
なにが最も大切なのだろうか。
完了が創れない理由は、あなたがあまりにもクリエイティブで完璧主義者だからである。
完了の難易度は個人の納得感のハードルの高さに比例する。
もっとリラックスして納得感のレベルをさげる。
少なくとも自分の好きな分野で毎日完了できることを創る。

ブログで3行でもいい。毎日続ける。そしてそれを何十年も続けて大きな完了を創る。
僕の場合は毎日一枚の絵を描くことを完了させる。
僕の絵は全然うまくない。味はあるかもしれないけれど、
そこまで手間ひまかけて描いているという感じでもない。
この文章だってそうだ。毎日書ける範囲でしか書くことはできない。
アイデアなんてそうたくさん出て来るわけではない。
だけど、自分の納得感のハードルがそこまで高くなければ、
「このくらいでパーフェクト」として、毎日完了させることはできる。
そのれが10年分貯まればどんな大きなことになっているか想像できるだろうか。

納得感を下げること=妥協ではない。

でも僕自身はこの完了が気持ちいいと感じている。
別にそれくらいでいい。
自分自身の納得感が得られていれば、
夢を叶える必要もないかもしれない。
毎日が幸せと感じられるような、自分自身のココロのハードルを
もっと低くして、本当は本当に素晴らしいこの世界観に納得して生きて行くといい。

2014年3月6日(木) 

63 太陽

太陽

なにげなくて気付かないけど見守ってくれるあなたへ

僕は個人的に太陽がものすごく大好きで
最近の僕の絵には太陽がものすごい確率で出て来る。

僕は太陽には本当に感謝している。
朝日を浴びると元気になるし、太陽は本当にあたたかい。
本当に当たり前にそこに存在しているから太陽には感謝をすることをもちろん忘れてしまう。

こんなことを言うと怒られてしまいそうだけど、
僕は八百万の神様や、ゴッドと呼ばれる神様や、様々名前の
人間が生み出した神様には友達のような感覚で接する。

「いつもサンキュー!」

という具合である。人間が創り出した神様はとてもフレンドリーに
僕たちを見守ってくれている。

ご先祖様のような感覚だ。とても感謝をしているけれど、
同じ地球で存在しているもの同し、かなりフレンドリーに接するほうが
お互いに楽しいと思っている。
その上で、太陽に関しては真の敬意と感謝を忘れないようにしている。
その座標に、今という時に、存在してくれてありがとう。
地球にいる僕はあなたのおかげで夢をおいかけたり、
楽しい経験をすることが出来ています。
これからも何億年も僕たちを照らし続けてください。
僕は太陽を愛している。

太陽のようになにげなく存在している、そんな人やモノにこそ、
真の感謝を忘れないように。

2014年3月5日(水)夕方、太陽の見えない雨の日



62 基準

基準

自分の生き方にはもっとゆるういルールを

僕は小学校、中学校時代は野球をやっていて、
高校時代はラグビー部に所属していた。
ねっからの体育会系というやつでいつも先輩にしごかれていた。
僕の感覚では1980年代くらいまでに生まれた人は相当スポ根で
根性とか熱血とかヤンキーとかそういう汗水たらして
とにかく頑張る!夢を持って突き進む!みたいな
イメージだ勝手にあって、その感覚が染み付いている。
そうなってくると自分自身に対する基準が相当高くなっていて
「もっと頑張らなくちゃ!」
「まだまだもっとしんどいことをしなくちゃ!」
「あいつに嫌われないように努力しなくちゃ!」
といった感じのMASTのタスクがたくさんルール化してしまっている。
日本人はそもそも頑張るということを美徳としている文化のような気もする。
頑張るということは本当に素晴らしいし
努力はどんどんする方がいい。

だけど、自分自身を追い込み倒して一日でも幸せではない日がある
としたらとてももったいないことだなあと思う。
基準というのはあなたが生きて行く上で幸福と感じるか、
不幸と感じるかのラインを引くということだ。

人は不幸なことが起こった時、
自分自身をせめて、運命を呪うことだってあるかもしれない。
状況、現実、起こりうること、運命、宿命。
この世界の中では人間一人の力ではどうにもならないことが多い。
起こることは変えることができない。
その現実に対して自分の基準を変えることが大切だ。

目の前で起こる失敗はなにかを学んだ証拠として、
不幸な出来事はシンプルな事実として、
幸せな日は記憶として、
自分自身が幸福で居続けられる基準を創る。

財布を落としたら、
新しいクレジットカードの契約にわくわくするかもしれない。
交番に届けてくれていて、人の暖かみを経験するかもしれない。
変えられない現実に不幸になる基準を設定しない。

2014年3月4日(火) モーニングカフェ

61 価値

価値

人のためになる夢とそうでな夢

人間が生まれて来た意味があるとするとそれは自分以外の誰か、
または何かのためになんらかのポジティブな影響を与えるためでだろう。
僕は個人的には宇宙や太陽のこと想像しているると僕たち人間が
この世界に存在していることなんて、地球レベルの大きなものから見たら
意味はないんじゃないかなと思っている人だ。
けれど、人間レベルの目線でみたらものすごく意味のあることであることは確かである。
僕が死んだら両親は悲しむのだろう。
兄弟、従兄弟にもなにかしらの影響が及ぶ。
友達や恋人だってココロをいためるかもしれない。だから僕は
少なくともこの世界で楽しく生きていよう、そう思うことができる。
僕の価値はこの世界に存在しているだけでも少しはあるように感じる。
もしも僕だけがこの世界にいるならば、その価値を測るものがない。
僕はこの世界で生きることがかなり寂しく感じるだろう。

ものを創ることはこの価値を送像する作業である。
価値を創るということは誰か、もしくは何かになんらかの影響を与えているということだ。
(価値がある、もしくはないにせよ)
僕たちが夢を想像している時、その夢が
どんな価値をこの世界に生んでいるかを考えてみるのもおもしろい。
どんな夢にももちろん価値はあるだろうけれど、
隣にいる人を喜ばせることができるような価値があったら素敵だなと思う。
誰かになんの影響も与えないような夢だとしたら叶えることができても
叶っているかを体感することは難しいだろう。
夢には大なり小なり価値が伴う。

あなたの夢はあなたの大切な人にどのような価値を提供できるものですか?

2014年3月3日(月)ランチタイム

60 移動

移動

物理的に動く

停滞している水は腐る。人間でも機械でも
地球でも同じ。この世界の構造がそのようになっている。
これは物理的に動く方がいいということを表している。
なにか悩みごとがある時、脳は思考を止めて
身体を動きにくくしてしまう。
その悩みな対して本能的に真剣に向かい合おうとするからだ。
悩みや不安と真剣に向かい合うことは決して悪いことではないが、
あまり長時間になるとどんどん身体の動きが縛られて
次に動き出すことが本当に難しくなってしまう。
真剣に向かい合いたい日は休日の昼下がり、晴れた日の公園で
瞑想をすることもいい。
30分くらい瞑想することで最初は不安だったファクターがどんどん溶けていく
感覚を覚えることができる。
同時にその次のステップの答えも見つかったりする時もあるから瞑想はとてもいい。

シンプルに悩みや不安を晴らしたいときは
シンプルに移動することが最善の近道だ。
それは単純にランニングするでもいいし、
テニスをするでもいい。
家の近所を60分くらい歩くだけでも本当に違う。
狭い部屋の中でテレビと一緒に停滞していると
どんどん飲み込まれてしまう。

行きつけのバーに飲みに行くでもいい。
料理をするでもいい。
部屋の掃除を真剣にするでもいい。
靴を磨くでもいい。

今の自分がちょっとめんどくさいなと思う感覚があったら
それが答えだ。
その思い浮かんだちょっとだけめんどくさい行動を行う。
そうすることで様々な改善へと向かうことができる。
僕は2ヶ月に一回程度の旅行を入れることで脳をリフレッシュするように心がけている。
旅行も慣れて来ると自分一人で、ローコストで実施すると
リゾートと違って行く前に少し負荷がかかるようになってくる。
どんなに美しい場所に行くという企画でも
計画を立てたりするのがちょっとめんどくさいと感じることがある。
でもこの感覚が答えだ。
ちょっとめんどくさいのはほんの一瞬で、
始まってしまえばあとは全身全霊で脳を刺激する。
旅という最高の移動が始まる。

今僕は飛行機の中。ものすごい勢いで様々活動の種が芽吹く。
僕の場合、こういう高速で長時間移動する乗り物の中は本当に充実した
ライフワークスペースとなる。
移動は人を刺激し、ネクストドアを開いてくれる。

2014年3月2日(日)成田行飛行機内

59 睡眠

睡眠

ココロと身体を休めること

22時になったら眠るように心がけることは難しいかもしれない。
朝5時には起きてゆっくりとコーヒーを入れるのは難しいかもしれない。
人それぞれのペースがあるから睡眠は長ければいいというものではない。
僕は昔専門商社の総合職だったころ、
6時に起きてジムに行き、仕事を22時までこなし、コンビニでおにぎりを食べながら家に帰り、
12時くらいに眠るということを繰り返していた。
決まりきった生活リズムの中で息苦しさを覚え、
会社に行くのが本当に毎日苦しくて仕方がなかった。
6時に起きて行くジムも半ば自分で自分に課した
強制労働のようになり、
特に筋肉がつくわけでもなく、
無限ループのようにこなしているだけになっていく。
決まりきった毎日をセットした時点で素晴らしい毎日を送ることが難しくなっているのが
人間なのかもしれない。
その反面、全く違うペースの毎日を送ることも人間には難しい。
ずっとジェットラグに悩まされるような生活になってしまう。
やっぱり僕たちは22時に眠るくらいがちょうどいいようにできている。
遅くとも24時だろう。
疲れは蓄積して次第に全てのペースをみだし、
ココロが疲弊して仕事に影響する。
目の前の仕事は自分のやりたくない仕事なのではなくて、
自分で自分のペースをキープできないから、仕事のせいにして
逃げ出したくなってしまうだけだ。

毎日職場に行かなければいけない生活の人には、
本当におすすめなのが、職場の近くに住むことだ。
僕たちは小学生のころは歩いて小学校に通っていた人が多いと思う。
地域で校区が別れていて、比較的近くに毎日通う場所がある、
そういう距離感がシンプルだ。
特に東京の電車に乗っている時間は苦痛になることが多く、
満員電車の中でも本を呼んだりリスニングをしたり教養を高めることもできるかもしれないけれど、
これも続けているうちに本当に苦行になってくる。
家賃が3万円上がるならば、その3万円で電車通勤の分の時間を買うという感覚。
時間は本当になにものにも代え難い最大の武器だ。

定時を過ぎるころに軽く晩ご飯をすませてしまう。
その後結構残業をして、22時に会社を終えるとしたら、
そこから自転車で7分くらいの所に家がある。
帰ったらすぐにシャワーを浴びて眠る。
まずこれくらいからスタートしてもいい。

僕が会社員時代は結構周りからの痛い視線を受けながら、
定時付近で変えるブランドを作っていた。
帰ってからは絵を描く。
22時くらいには眠り、朝日と鳥の鳴き声で起きる。
ずっと目覚ましよりも早く起きていた。
ライフワークを楽しむために、ライスワークとのバランスを取り、
朝ストレスのない状態で早起きをする。
このループが夢を叶える方向への前進になる。

2014年3月2日(日) 成田行き飛行機

58 師匠

師匠

あなたが尊敬している人は誰ですか?

昔知り合いにこの質問をされた時、僕はココロから尊敬している人
というものがなかった。もちろんイチローとか、ブラッドピットとか
ものすごく分かりやすい人を尊敬はしていたけれど、
その質問に対してのしっかりとした答えになっているように
は感じられなかった。
この「師匠」いわゆるメンターに関しても、
自分自身がなにものであり、
そのような人になっていきたいのかを明確にしていない限り、
尊敬する人すら明確にならないものなのである。
僕は画家だけれど、必ずしも画家を師匠と思っているわけではない。
もちろんゴッホやピカソは大好きだけれども、
彼らと同じようになりたいとは思わない。
(時代性も違うので同じようにはなりたくてもなりにくい)
岡本太郎先生は本当に尊敬している。
彼の「怖いと感じる道を行け」という言葉のように生きる
ことを選択している。
既に死んでいる人でも師匠にはなりうる。その人の本や
生き方が分かる記録を追いかけて参考にする。

今の活動を本当に応援してくれる師匠に出会えたら、
あなたの活動はかなり明確になっている証拠だろう。
僕は自分の活動と、メディアを通して活躍している人の活動で
すごくマッチすると思ったら、その人がどこにいようとも
会いに行くように心がけている。
その人の話を聞いて、胸がドキドキしたらそれは
間違いなく、その人はあなたの師匠だろう。
思い切って声をかけたら、
ココロから尊敬できる師匠になってもらえるかもしれない。
少しでもなにかを教えてもらったら、
ココロから感謝を伝えよう。先に成功をおさめている人は
本当に偉大であり、一度しかない人生において、最高の道標となる。

2014年3月1日(土)
クライストチャーチ行飛行機内、ニュージーランド

57 目的

目的

僕はなにをするにしても計画をたてるタイプで、
その計画には必ず、目的が設定されている。
サラリーマン時代、マーケティング部時代に
P&Gの社内稟議書類を使って仕事をしていたことがあって、
書類造は最初ものすごく苦手だったのだけれど、
この手法がいかにシンプルで頭の整理ができて、
全ての行動が完璧かどうかを判断するための書類として
いかに洗練されているかを知ることになった。

画家が書類を作るということはナンセンスなのかもしれない。
もっと感情的にココロの赴くままに進む方がいいのかもしれない。
これは人によってタイプがあるのだと思う。

感情で動いたほうがよい人。
計画によって動くほうがよい人。

僕は後者でもあるけれど、前者でもあるとも言える。
だけど、計画表がないと動きがにぶくなるという点では
後者の気質が強い。
どちらにしても目的の設定はとても大事だ。

例えば、あなたが、カラーコーディネーターの資格を取得したいとする。
この時に本来目的はこの資格を用いて、何か行動や影響を及ぼすことであると推測できる。
目的を設定していない場合、
この資格を取得することが目的になってしまう場合がある。

カラーコーディネーターの資格は得られたけれど、
特に取らなかった時と変わらないということは結構頻繁に起こっている。

あなたはなぜ、来月旅行に行くのですか?
あなたはなざダイエットをするのですか?
あなたはなぜ東京に住んでその仕事を行っているのですか?
あなたはなぜ、彼女と結婚しないのですか?
あなたはなぜ、今晩そのパーティに行くのですか?

全ての行動において、目的を意識してみよう。
いつもの行動がものすごく有益な結果をもたらす
活動に変わって行くのを感じられるはずだ。

2014年2月28日(金) ニュージーランド南島のどこか

56 人脈

人脈

その出会いは人脈になり得るか

出会いが少ないというのは、人に興味がないからで、
どこにでも人がいるのだから、
少しでも気になる人が近くにいる場合は、
どんどん声をかけていくといい。声をかけるのはとても緊張するけれど、
相手も同じ人間だから、少しくらいは話を聞いてもらえるはずだ。
(単純なナンパと勘違いされないように注意)

出会いが単なる一期一会で終わってしまうのは、
今の時代少しもったいないかもしれない。
それはそれで、情緒があってとてもいい時もあるけれど、
どういう形で自分とその人の間を構築していったらいいかを会話の中から見いだしていく。
Facebookがどんどん人脈をつないでくれるから、
もしFacebookをやっているとしたら、
自分のプロフィールの部分にどういう人脈、チャンス、夢を持っているのかを
明確に記入しておくと、ひとつひとつの出会いが人脈になっていくチャンスが生まれる。
(もちろんFacebookに限るということではない)

ひとつひとつの出会いが人脈として広がっていくためには、
あなたが誰であるのかを分かりやすく、相手に伝える必要がある。
それがあなたのブランドになり、そのブランドをどう扱えばいいのかは、
周りの人間との関係性も影響してくるからだ。
あなたがなにものでもない場合は、逆にそれが特徴になるのかもしれない。
誰かと出会ったら、自分がどういう人間で、あなたとの間に
なにを構築したいのかをしっかりと伝えよう。
全てのチャンスは人がもたらしてくれる。
そのチャンスを掴むために、堂々と人脈を構築していく。

以下は僕のブランドだ。
僕は世界遺産を描く画家として活動している。
僕は世界遺産の近くで展示会や、講演活動をしている。
僕は世界遺産というモチーフを通じて国境を超えて世界を大切にするココロを創ろうとしている。
僕は日本という国が好きで活動を通じて、その豊かさを伝えようとしている。
僕はこの地球を画家として最大限楽しみ生きようとしている。
僕はライフプロジェクトとして、世界遺産級のモニュメントを建築し、500年後の世界遺産を創ろうと思っている。

あなたと僕の間にどんな可能性があるか、
その話をあなたと供に酒を交えて語りたいと思っている。

2014年2月28日(金)ニュージーランド 南島のどこか

55 旅

新しい刺激を与え続ける

旅の中でたくさんの風景に出会い、たくさんの日常離れを経験しながら、
ドキドキしたりわくわくしたりすることは人生の中でも
最も崇高な経験のひとつだ。

特に旅の中で出会う人というものは特別で、
僕はどこかにでかけた時、同じ日本人がいたら
なるべく話しかけることを心がけている。
日本人の方とはまた、日本の中で再開できる可能性が高いので好きだ。
毎回の出会いで感じるけれど、同じ日時、同じ場所で、
同じタイミングに話すきっかけがあって、出会うことになるので、
なんだか運命的なものを感じざるをえない。
(特にものすごく重要な運命とかではないのかもしれないけれど)

海外の国内線の同じ飛行機の隣の席、
エジプトの安宿、
スペインの街角、
トルコの遺跡の片隅、
モン・サン・ミッシェルのバス停、
マチュピチュのワイナピチュの門の前、
ニュージーランドのレンタカーのカウンター、

様々なタイミングが旅の出会いの場所だ。
旅先で出会う人というものは、とても大切にしたい思い出である。
お互いに予定がなければ、ゆっくり話すといい。
普段東京にいたら出会えないような世代の人の話をゆっくりと聞くことができる。
困っていたら助け合おう。
旅は本当に道連れだ。
そして現在はFacebookで未来の可能性にもリンクすることができる時代だ。
時間、場所、空気、人、
旅先での出会いは本当に大切な経験である。

2014年2月26日(水)クイーンズランド NZ

54 挑戦

挑戦

人生を豊かにするための最初の行動

子供の頃は全てが挑戦だった。
自転車に初めて乗ってみるあの感覚。
できないことに対して、絶対にやり遂げたい!
と強く願うココロ。これは大人になるに連れて
少なくなっていく能力の一つだろう。

最近、自分のココロが震えるような挑戦をしていますか?
これは自分自身にもいつまでも問い続けていたい質問である。
何事も挑戦がという行動がなければ、
経験することはできない。
なにも挑戦しなくてもいい毎日というのは本当に
なだらかで気持ちがいいものである。
僕は個人的に挑戦をしたくない人はもちろんしなくても
この人生を楽しく幸せに生きて行くことはできると思っている。
挑戦は自分にわずかでも負荷をかける作業だ。

挑戦したからといって、そのハードルを超えられるわけでもない。
これは人生の究極の暇つぶしの行動であるとも言える。

夢を叶えるという感覚も言ってしまえば、最高の暇つぶしである。
人間は必ず死ぬのだから、全てがリースであるし、
どんな生き方をしたって、全員に対して全く同じ結果が待っているという
世界で僕たちはレースを繰り広げている。
全ては無駄であると言ってもいい。
だけど、僕は挑戦しない毎日が退屈でたまらないし、
もっと大きな人間になっていきたいと願う強い気持ちがある。

たくさんお金が必要な挑戦や、
たくさん体力を使う挑戦や、
たくさんの人との関係が変化する挑戦などは
圧倒的に恐怖も伴うことも知っている。

だけど、恐怖は一瞬で過ぎ去り、
大きな挑戦をした時ほど、
大きなリターンが待っているということも知っている。
このリターンは確実に待っているものだ。
なによりも挑戦している人は美しい。
僕は美しいものが大好きだ。

2014年2月20日(木)赤坂スタバ

53 食事

食事

おいしいと思うものを毎日食べる

人間は普段食べるもので構成されている。
食べ物にこだわらずジャンクなものを食べたりして
カラダに負荷をかける日もあるだろう。
この食事に関してもただ、健康的なものを
食べればいいというわけではないことに、気付いている人は多くない。
健康にいいからといって、好きなものを我慢することは
ココロは満たされないかもしれない。
一生のうちに決まっている食事のひとつひとつを
思いっきり楽しみ続けることは間違いなく
身体にもココロにもいい。
もちろん明らかに身体に悪いといわれているものを
毎日、毎食食することはよくない。こういう食事には現実的にココロが惹かれていないことに
気付かなければならない。
ひとつ注意しておきたいことは
人間が基本的に一日摂取してもいいかカロリーはその人の年齢や身体の大きさによって
算出できるわけだから、
これをえて食事を摂取することは、
いくらココロがわくわくする食事とはいえおすすめではない。
やはりなんでもオーバーはよくないのである。
カロリーや胃袋のタンクを越えすぎることなく、
おいしい」
とかんじられる食事を摂取することを心がけましょう。
食事はココロを細らせてしまいます。
この与えられた人生を楽しむために、まず、目の前の食事を愛しましょう。

・あまりココロが惹かれないけど、500円の食事。
・ものすごく、食べたいけれど1200円の食事。
上記のような、数百円の違いの場合、
1200円の食事を選択することをおすすめだ。

食事は私たちがこの世界で生きていく上で、
最も有意義な行動のひとつである。
採光においしいとかんじられる食事を一日に3回とるようにしよう。

2014年2月20日(木)赤坂

52 愛

個人では成し得ない最も崇高な経験

愛というテーマを掲げても、
結婚をしていない僕にはたいしたことを語れないのかもしれない。
しかしながら、夢と愛というものはしばしばリンクしていることが多い。
愛を持っていない夢は実現してもむなしいものになるからだ。
この場所で話す愛について定義しておく必要があるだろう。
ここでいう愛とは感謝のエネルギーということにしておこう。
よくつぶやきの最後に「○○で感謝。」と書いている人は
愛を持っている人なのだと思う。
感謝という言葉は感謝を全くしていないときにはまず出てこない。
常に小さいことにでも感謝をしている人は愛に溢れている人だと思う。

しかし残念ながら、僕は常に感謝をし続けている人ではないような気がする。
小さなことにはココロが動かないことが多い。
「○○で感謝。」という言葉を呟くときは僕の場合は
本当に大きなことが起こった時に限定されている。

今は恋愛についても考えさせられることが多い。
愛を持って恋愛をしたことがあっただろうか。
何年も寄り添う相手の全てを許すことができただろうか。
常日頃から、横にいてくれる人に対して、
ただそこにいてくれるということに感謝をしたことがあっただろうか。
たまに言葉にしていたかもしれないけれど、
たまに思っていない時もあった。

僕たちは仏陀ではないので、
完璧な感情を持ち続けることは難しいかもしれない。
だけど、意識することは可能だと思う。
夢を叶えるという行為は、利己的な行為であることも多い。
自分への愛という捉え方もできるけれど、
結構むなしいものである。

僕はキリマンジャロを登りきった時、
ものすごく泣いたことを覚えている。
泣く訳ないと思っていたけれど、ものすごく泣いたのだ。
どうして泣いたかというと、圧倒的な達成感に加えて、
ものすごい孤独が押し寄せてきたからだった。

この夢は誰かのために叶えたものではい。
自分が兼ねてから達成してかった夢だった。
一人で、自分のために大きなことを達成することは大きな喜びに繋がる。
だけど、やっぱり誰かと、誰かのために、愛のために
大事を成し遂げることの方が、豊かな感情になれることは確かだ。
愛を持って人と接する。
愛を持って地球と接する。
太陽に感謝する。
生かしてくれてありがとう。
どんなことも許すように生きる。
私はあなたを愛している。そんな言葉といつも一緒にいたい。

2014年2月17日(月)

51 遊び

遊び

仕事とプライベートを分けない

ある時点から僕は、ここからここは仕事、ここからここはプライベートという
生き方を辞めてしまったことを覚えている。
具体的には26歳くらいのころ。その時代僕は香水の専門商社の総合職で
マーケティングという部署で商品の販売促進やPR戦略に関わる仕事をしていた。
その会社はかなり激務だったけれど、所属している人間がものすごく
面白くて、プライベートで様々な活動を行っている人が多かった。
そんな環境の中で僕は昔から夢であった「歌手」活動を始めてみようと思った。
最初はプライベートで始めた活動だったけれど、
同じ会社の同僚や上司も巻き込んでイベントを開くようになった。
ある人はMC、ある人はパフォーマー、ある人は受付、ある人はDJ。
そして僕はオリジナルソングを歌うボーカル。
このオリジナルソングの制作には、
会社の仕事の中で出会った人脈の中で作曲、編曲が出来る人に10万円を支払ってお願いした。
僕は鼻歌を録音してその作曲家に編曲してカラオケにしてもらうという作業だ。
今だから言えることだけれど、
会社のコンピューターで仕事をしている合間に、ワードを開いて作詞したり、
イラストレーターを開いてDMを創ったりしていた。
その当時はまだFacebookが流行っていなかったけれど、
もちろんメールは使えたのでoutlookで集客して、
仲間は社内のサイボウズを用いてスレッドを立てて集った。

この話は単なる、会社でのさぼりの話のように聞こえるかもしれない。
しっかりと会社の業務はこなしていたとは言え、
確かに経営者からしたら、たまったものではないかもしれない。
だけど、やりたいことにはどんな手段を投じてでもストイックに進んだ方がいいと思う。
僕が将来社員を雇って大きな仕事を回せるような会社を構築できるようになった時、
もし社員がこういう行動を取っていたとしても
しっかりと仕事をこなしてくれるのであれば問題はない。
(と、今は思っている)

まとめると、仕事とプライベートなんて分ける必要はなくて、
嫌いな仕事をしている時だって自分の夢をしっかりと追いかけながら、
しっかりと両方こなしていけばいい。
夢ではない仕事だって、夢に繋がる人脈や、スキルに繋がっていることは本当に多い。
むしろ、繋がっていなことなんて、全くない、といっても過言ではない。
区切って仕事をしているうちは時間を有効に活用できていない可能性が多い。

僕は個人的に、絵を描くことだけでは飽きてしまうので、
今もマーケティングやデザインの仕事を平行してやりながら、
合間合間で企画書を書いたり、絵を描いたりしている。
そのほうが効率がいいし、脳のデトックスになる。

旅をしている時も絵を描くだけでなく、
行動計画や、旅日記、執筆、企画書を書いたりしながら日々のタスクをこなして行く。
もちろんランニングしたり、読書もしたりするのは大好きである。
旅の時ほど、日常と同じ行動することによって得られる幸福感は大きいと思う。

物事は捉え方次第だと思う。
自分が楽しいとココロから思えるような行動で一日を埋めてしまえば、
そのようなマインドにセットしてしまえば、
毎日が遊びになる。

2014年2月15日(土)銀座、ブッククラブ

50 日本

日本

この場所は間違いなく、最高である。

原生において僕は日本という国にたまたま生まれることになった。

両親はたまたま和歌山という場所で出会い、
自分という器の中に魂が宿りこの世界に存在している。
父親は若い頃に京都で働いていて、
腰を痛めて和歌山に戻ってきたのだという。
この出来事がひとつなくなるだけで、
自分はどこにうまれたのか、それとも生まれなかったのか
検討もつかない。
世界は常に運と奇跡によってなりたっている。
世界は、というよりも自分たち人間の魂と、その器は
宿命によって定められている。

自分では選択できない事象の中野一つが
日本に生まれたという奇跡である。
日本が元気がない、とか日本が他の国に比べて、
うまくいっていないとかいう人は世界の
どの場所に行ってもどんな待遇を受けても
うまくいかない理由を場所や人のせいにして、一生を終えて行くことになる。

アフリカも、アジアも、南米も、ヨーロッパだって
アメリカだって、その場所で存在する
だけで幸せである。
だけど、僕が世界を巡っていて感じる限り、
自分の身の回りどんなにか心地のよいことか。
素晴らしい国、場所に僕たちは存在していることを
もっとみんなが認めたほうがいいと思っている。

あなたが日本という場所に生まれたことは、奇跡であり、
世界的に見てもナンバー1の幸福をいきなり与えられたのと
同じことである。
僕は個人的に「世界を、日本を変える」
と言っている人が苦手である。
変える必要があるとすれば、人のココロの中だけである。
もしかしたら、頭のいい政治家はそのことを言っているだけかもしれない。
あなたの頭の中を洗脳して、日本が変わったと錯覚させようと
しているのかもしれない。
言いたいことは一つである。
日本に生まれたことをシンプルにラッキーだと思い、
そのことを揶揄することなく、自分と向き合って進めばいい。
僕たちは既にここにいて幸せなのである。
夢を叶えるという選択もできる、
そんな場所にいるのである。

僕はここで世界はだめ、日本はいい、というナショナリズムを
説いているわけではない。
自分の夢が叶わない可能性や、
自分が成功しない、うまくいかないことを日本の
責任にしているならば、そんなことは幻想であることを
説いている。
つまりこの世界に存在していることに感謝して
邁進するだけ、ということだ。

2014年2月14日(金)バレンタインデー

49 自分

自分

自分の内側と外側

いくら自己中ではない人でも、世界は自分の目線の先に繰り広げられるので、
どうしても自分を中心として考えてしまうことが多い。
かといって、問題が起こった場合は自分の世界の中で、
自分の責任で問題が起こっていることを認めたくないものである。
自分の目や感覚で見つめているこの世界は自分自身が全て、
全も悪も含めて全部創り出しているという点において、
相当に僕たちはクリエイティブな存在だ。

あなたは自分についてどれだけのことを知っているだろうか。
そして他人について、どれだけ自分のために崇高に存在してくれているかを
感じ取れているだろうか。その先に、他人のために
どれだけ行動できているだろうか。

各有僕は全く他人のことに関心がないのかもしれない。
自分のことでいつも精一杯な気がしている。
だけど、自分のことをどんなに考えても
いつも出てくるのは
周りの誰と、何をしたいかということに戻って来る。
絵を描いている理由はもちろん、自分自身の奥底にある感情に基づいて
行動を起こしている。自分自身がなによりも楽しいからに他ならない。
だけど、結局誰かにその絵を見てもらい、なにかポジティブな影響を
クリエイトしたいという思いの方が強い。

今日はバレンタインデー。考えることはただ一つ、
自分が誰と過ごしたいかということ。
誰かと過ごしたいという感情が見つかっても
誰でも一緒に過ごしてくれるわけではないことは
自分が一番知っている。
この世界はあなたの見えるものあなたの内側にある言わば妄想が
創り出している世界である。
だけど、その妄想の中にいる他人という住人が
あなたの妄想通りには動かないという面で他人も
あなたと同じように自分の中の妄想の中で生きていることは明確だ。

夢を叶えるという発想は基本的には個人の
感情が強いように感じる。
この感情がもし他人を巻き込んで、
他人を幸せにするという夢である場合に
自分の中の妄想の世界が動き始める。
夢は自分個人の世界観の中だけでは大きく成熟することはないのだろう。
もちろん「からあげを食べたい」という願望も
夢の一部ではあるのだけれど。

2014年2月14日(金)

48 夢

あなたは夢を叶えますか?

夢を叶えるためになにが必要かというと、
絶対的にあなたの内側にあるアイデアである。
もしあなたに夢がない場合、夢が叶うはずがない。
逆に夢のアイデアがある場合に
夢はほとんどの場合、叶うと僕は思っている。
これは多くの人が気付いていない可能性がある。

まず自分の中にある夢に気付いていなかったり、
特に夢を叶えたいと本気で思っていない場合、夢が叶うことはないだろう。
また、お金をものすごく持っていることと夢が叶うということも
あまり関係がないことに気付いている人も多くはないだろう。
確かに多くの場合、お金があるほうが夢は叶うかもしれない。

また、お金そのものを得ることが夢になっている人もいるだろう。
整理しておく必要があるけれど、お金は流れているだけであって、
それ事態が夢であるわけではない。
夢は自分の中にある。それを本気で叶えたいと願うのか。
その夢自体について、自分自身の未来について、
どこまで本気で考えることができるのか。
どこまであなた自身の限られた時間に対して、集中することができるのか。
どうすれば人生をより面白くできるのか。

そのために夢が必要なのか。

夢を持つことが正しいわけでもないし、
もしかしたら楽しいわけでもないかもしれない。
けれど、夢を追いかけることは人生を豊かなものにしてくれるはずである。
僕は夢がある人生が好きである。

夢を叶えるための最初のステップは、あなたの中にあるアイデアに気付くこと。
そしてそのアイデアを自分の外側に出すこと。
即ち、紙に描く(書く)ことである。

2014年2月8日(金)阿佐ヶ谷 大雪

47 信頼

信頼

契約をする

何かをやり始めるとやっぱり一人でできなくなってくるものだ。
僕は今、自分で始めた事業のほとんどを
自分一人でまわすか、それとも誰かパートナーとまわすか、
それとも人を雇って進めて行くかを慎重に検討している。
画家という仕事、活動は基本的には一人の世界だし、
いつの時代も、大きな展示会で賞を取ったりして、
パトロンがついて成り立つ、ということの方がが一般的だと思う。
この全く一般的ではない現象が一般的な画家の道であることに
今僕は疑問を感じてもいるのだ。
僕は自分で描き、自分で企画して、営業して、
自分が代表として、絵というツールで勝負する道を選んだ。
(一応今のところは)
もちろん絵を依頼してくれる人や、イベントに呼んでくれる人たちが
僕のクライアントであり、パトロンであるといえる。

絵という一般的ではない価格の価値を
一般的ではない価格で販売するというプロダクトマーケティングを
企画して運営しているといえる。

たくさんの出会いがあり、たくさんの決別がある。
だまされたような気分になることもある。
ビジネス、パートナー、ボランティアなんでもそうだけれど、
自分以外の人と活動をするということはその人を信用し、その先で信頼するにまで至る必要がある。
前回信用というタイトルで文章を書いた。
信用という過去の蓄積が貯まってくると信用されるという現象になる。

信用はままでも信頼するほどではない関係性は多い。
友達とも違う、もっと崇高な関係性だと思う。
夫婦がそれにかなり近いと思う。家族が最もそういう関係性かもしれない。
もちろん全てではないけれど。

他人と仕事の中で素晴らしい信頼関係を創り上げて行くための名案は、
契約を交わすことである。
口頭で行ってもいいかもしれないが、
紙で契約をすることをおすすめする。
どんなささいなことでも、契約は行われている。
自分たちの生活の中で何気ない契約はたくさんある。
恋愛だって、
コンビニでものを買うとききだって、
お使いを頼まれたときも
晩ご飯をつくるときも。

例えば焼きそばパンを誰かに買いに行かせるとする。
その人が焼きそばパンを買ってこないかもしれない。
その人はそのままお金も返金しないかもしれない。
だけど、その人は悪くはない。
その人の目線に立てば、そういう契約だったからだ。
あなたのココロは誰も覗くことはできない。
だけど、紙の契約を一緒に作っていけば、
限りなくココロを擦り合せていくことはできる。

それが大小問わず、仕事の時は必ず、
相手と向き合って、目的から考えるといい。
その相手との中に原則、法律を創る。
このことが大きな未来の信頼に繋がって行く。


2014年2月7日(金)港区 ランチ

46 信用

信用

信用貯金を守る

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信用をしているってどういうことなんだろうと思っていました。
同時に信頼しているとはどういうことなのか。
他人から見て、自分はどのように思われているのだろうか。
信用は過去の実績に対して、そして信頼は未来への期待が込められている言葉だ。
だから信用の実績が構築されない限り、信頼されることは
ないと言ってもいいだろう。
直感で信頼することもできるかもしれない。
人間関係において、この感情をお互いに持つことのできるパートナーはものすごく素晴らしい。
長い間信用を貯金してきたのに一回の
ミスによって一撃で崩れる可能性のあるのも信用の特徴だ。
かといって慎重になりすぎても面倒くさいし、楽しくないかもしれない。
僕は信用貯金を守るために実践していることがある。
とてもシンプルなことだけど、人を動かす、信用を継続するためにはものすごく重要なことだ。
会社員は会社の中で結構当たり前にやっていること、
それは、書類で稟議を通すという作業だ。
もちろんそんなに堅苦しいものではなく、
パートナーとの意思疎通がきちんと行われるために
必要最低限のことが書かれている小さな小さな契約書のようなものである。

人と活動する時、
人と仕事をするとき、
人と旅行に行くとき、
人とイベントをするとき、

様々な現場において、他人を巻き込む場合は簡単でいいから、
口頭ではなく、紙の書類を交わしておくとよい。
言葉では、お互いの意思は伝わりきらない、もしくは、
あやふやな展開になってうまくいかなくなる可能性がある。
意図していないところで、ミスと思っていないところで
信用が0になってしまうようなことになりかねない。
その一枚一枚の小さなミッションをお互いにクリアしていくことで、
信用の貯金が可視化される。

人に察しろということは難しい。
けれど、目に見える契約書ならば、
お互いに有無を言わさず、ミスを犯しにくくなる。
そして信頼関係が生まれる。

2014年1月31日(金)

45 芯

昔から自然にやっていること

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あなたは自分の芯を認識しているだろうか。
僕はつい最近までその芯を認識することなく、
輸入産業に挑戦したほうがいいとか、
化粧品事業をしたほうがいいとか、
カフェでバイトをしたほうがいいかも、とか
奥行き、上下、左右と、数次元の中で、
ぶれまくっていた。芯を見つけることは簡単なのだが、
その簡単なことに気づかないのが人間というものである。
僕は30歳のときに会社を委任退職している。
(事実上クビ)その会社でのポジションは社長直属のアシスタントブランドマネジャーで、
主に新規アイテムの企画開発だった。
僕は過去に新しいヘアワックスの開発に携わっていたので、
自分の芯は「商品企画者」なのでは、と思い込んでいた時期があった。

企画能力はないわけではなかったが、社会人になってから、
数回トライして、そこそこうまくいったことにすぎない。

同じ畑で、東京の難関大学でマーケティングやMBAのマスターを取得してきたような人には
まったく勝てないということもこの時期に痛感した。
もっと昔から僕はなにをやって生きてきたのか。
どういう学歴で人よりも少しでも ほめられたことがあったことはなんだったか。
少なくとも10年以上続けてきたことはなんだったか。
絵を描いてきたことは確かに認識していた。
けれど、そのことを 職業にする、自分のプロフェッショナルにするなんて、
想像で終了してしまっていた。
明らかに絵を描くことは僕にとっての芯であった。
社会の常識の中で、会社員としてその事実を認めることが圧倒的に怖かった。
ある日、幼稚園時代からの幼馴染が言った。
「君はなんで絵を描いて生きていないのか?」
その言葉を聞いて脳に衝撃が走った。
「そんな生き方をしてもいいのか」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小さなころ、毎日のように、父が会社から持ち帰ってきた裏紙に絵を描いていた。
小学校のころ、女性の裸の絵を描いて母親に見つかった。
高校生のころ、芸術大学予備校のアトリエでトップ3の成績だった。
大阪芸術大学に通っていたころ、毎日がきらきらしていて、絵を描くことに生活のほとんどを費やしていたこと。
社会人になってグラフィックデザイナーとしてイラストも描いていたこと
次第に別の会社にいくようになっても富士山にスケッチに行っていたこと。
おつきあいしていた女性に誕生日のたびに絵をプレゼントしていたこと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

過去を振り返れば、自分が気づかない間に
大切にしてきた芯があることに気づく。
別にこれを仕事にしなくてはいけないわけではない。
でもその芯はあなたがこの世界に生まれてきた理由の鍵になることは確かである。

2014年1月27日(月)
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

44 改革

改革

その改革は思考停止ではないか

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政治家は、「変革」「変える」「改革」
という言葉を使う。
国や地域の政策だけではなく、ビジネスでも同じように、 日々改革は行われる。

改革は、現状が異常に悪な場合は必要だし、
そこに対して頭をフル回転で挑むべきだとは思う。

僕は現代は平和で住みよいと思っている。
この件に関してはさまざまな意見がでるかもしれない。
それでも見渡す限り、自分が実際に体験できる空間の中では
かなり平和な空気が流れていると思う。
たまにメディアから流れる映像は平和ではない映像が流される。
この世界上に平和ではない、ものすごく不公平な世界が
存在していることも心得ている。
それでも自分の周りは今、平和である。

そんな平和で暮らしやすい日本に生まれて、
普通に暮らしていくと、平和であれば、満たされるというわけでは
ない人々が存在していることにも気づく。
人間という存在の中には普通に平和であることをよしと思わない人もいる。
世界中どこにいっても日本ほどすみよい国はないと言っても
過言ではない。

確かに人間関係が旨くいかないとか、
隣の人よりも収入が低いだとか、
不公平に感じてココロが揺さぶられるような時もあるだろう。
それでも今あなたの身の回りはある程度平和であると思う。
(ここでいう平和というのは、戦争や殺し合い、飢餓や、過剰な差別のない世界をさす)

世界中まだまだ混沌としている場所があるだろう。
改革が必要な場所があるだろう。

個人的にいまのような平和な状態での
改革などいらないと思っている。
改革とは現状のさまざまなしがらみを捨てて
新しいことをはじめることである。

時には多くの人を犠牲にすることもある。
現状の問題をクリアするのではなく、
子供がブロックを崩すようにリセットしているだけだ。
どんな道にもたくさんの問題や行き詰まりが発生する。
問題や壁を超えていくことなしに壁をくずしたり、
問題をなかったことにすることは、子供っぽい決断だと僕は思っている。
繰り返しになるけれど、
それが多くの人にとって完全に悪な場合、改革は必要だと思う。

問題や壁レベルの場合は改善が必要となる。
問題が発生したら、頭を使って改善する。
ブロックを倒すのは本当に最後だ。


2014年1月24日(金)
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

43 言葉

言葉

創造は言葉から

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頭の中にあるうちは創造ではなくアイデアである。
アイデアがないものはまったく実現しないけれど、
それがアイデアのまま、頭の中にある状態でも
具現化される可能性はほぼゼロだろう。
これが言葉として発せられた瞬間、
ゼロだったものが、1どころか30くらいまで具現化する。
さらに文章に、そして具体的な絵になっていくことで50%以上の
実現性を帯びてくる。
言葉はアイデアを初めて世に生み出すための
いわば夢の赤ちゃんのような存在である。
この世に生まれてこない限り、夢は実現することはない。
生まれてきた赤ちゃんには知識や経験を優しく詰め込んであげる。
生まれたばかりなのに、急に焼肉のようなヘビーな
食べ物は与えてはいけない。
ゆっくりと根気よく、大切に愛を持って、はぐくんでいく。
言葉は産声である。
言葉は夢への第一歩である。
堂々と人前でアイデアを発信するといい。
ただし、未熟すぎるアイデアは
栄養を与えても死んでしまう可能性がでてくるので、
やる気がうすい夢は言葉にしないほうが いい。
興味と夢は混同されて、アイデアになる。
興味レベルでも言葉にしてしまうと
人はあなたの言葉に期待する。
実行しない場合には人は期待を裏切られたと思う。
言葉を発する時は言葉に責任が生まれることも意識しておきたい。

夢を叶えるために、まず言葉にする。

42 繫がり

繫がり

こない人はこない。くる人はくる。

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僕は未来も過去も現在に同時に起こっているという定義の中で
人生を生きているから、目の前で起こることに間違いだとか、
正しいだとか、そういう感情を描くことはない。

とはいえこのように感じるまでにはものすごく時間がかかったし、
つい最近まで、あれはだめだとか、
こうじゃなきゃよかったとか、もがいても否定しても
無駄なことにカロリーを使用していた時期が長かった。
過去はもがいてももがいても変わらない。
未来は変えることができるし、よくなることがわかっている。
うまく表現できないけれど、うまくいく未来のにおいを感じる
ことができる。
この考え方は人間関係にも大いに当てはまる。

一度しか会わないひと。
二度しか会わないひと。
会いたかったけれど会えなかったひと。
大好きだったけれど別れてしまったひと。
5年ぶりに会えたひと。
仲たがいして不通になったひと。

すべての出会いには完全に意味がある。
そのひとがあなたにもたらす運命はすでに決まっているし、
その運命をあなた自身が決めている。
この時代のこの世界ではあなたにとって有益なことの
多くを他人が持ってくるし、奪っていくだろう。
けれど、それが、人と人との「繫がり」だ。

自分から遠ざかっていく人は、その運命の道に乗っている。
近づいてくる人も同じだ。
あなたという人間のブランドの色に応じて周りの運命も変わっていく。
周りの人間が変わることは定めであり基本的には変えることはできない。
だから別れは悲しむことはない。
出会いは大いに喜べばいい。

2014年1月23日(木)

41 運命

運命

思い出し創造する

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宿命とは違って運命は現世に降り立った時に初めて
経験し、創造されていくものである。
デジャヴが起こる原因に結びつく考え方だけれど
人間の意識は未来も過去も含めて同時に
感じることができるようになっているようだ。
この話は僕自身確信があるわけではないけれど、
デジャヴが起こるたびに、
未来に起こることが経験されていることに気づく。

逆に過去の出来事は現代に起こっていることのように感じる時がある。
これはリ・デジャヴと僕個人的には呼称している。
リ・デジャヴはどのようにして感じられるかというと、
今経験していること、例えば僕は実家のお風呂に入って
天井を眺めている。
状態を記憶し、同時にこの天井が未来ではこうなっているのかな
と思いながら生きていく。
何年か経ち、実際に未来になり、新しく一人暮らしの部屋になる。
過去の実家の天井を眺めていると記憶がフラッシュバックする。
普通の過去を思い出している作業に過ぎないのだけれど、
「去年あそこいったよね」とか、
「あの子昔はあんなだったよね」 とか、
過去を思い出す状態ではなく、
まさに今過去を経験しているかのような感覚になる。
それがリ・デジャヴだ。

このような経験を言葉で説明することはほとんど不可能に近く、
自分のあいまいな性格を露呈させてしまうので、恥ずかしい。

話がそれたけれど、運命というものは決まっていることは、
今経験するデジャヴによって感じることができる。
ただし、それは何方向にも分かれた未来の中のひとつのデジャヴに
過ぎない。未来はたくさんの方向に分かれていて、
自分の思いが強い方に向けられている。
運命というものがあるとすれば、それはひきつける力が他の
道よりも強い未来のことだと思う。

その方向には強く興味をそそられるし、
その方向からはジューシーでおいしそうな香りが立ち込める。
そして、ものすごくリスクに感じることもあるだろう。
運命の定義もたくさんあると思う。
ここでいう運命とは未来ではあるが、
経験し終わったていることを指す。

夢を叶えても、叶えなくても、運命は変わらない。
自分自身が変わっていく。

2014年1月23日(木)
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

40 宿命

宿命

動かせないものは利用する

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宿命については専門家がたくさん見解を持っているはずだ。
僕自身は哲学というものをほとんど勉強したことがない。
もしきちんと勉強すれば、感じていること のほとんどが
論理化できるのではないだろうか、そんな風に最近は思う。
宿命論は哲学なのかどうかもわからないけれど、
もって生まれたものすべてが宿命であるから、
この世界に来てから自分ではなんの選択もできないことになる。
昨日江戸川橋の素晴らしいおすし屋さんでお会いした
仲野孝明先生。先生は大正時代から続く由緒正しき整骨院の
先生だ。青山やニューヨークにもお店を展開していて、
人の骨を支えることで日本や世界を支えることを生業にして おられるすごい人だった。
僕の実家は普通だけれど、田舎にぽつんとある、
ものすごく暖かい家庭だ。行きたい大学にも行かせてもらえたし、
お金の苦労もほとんどしていない。

かたやインドで見かけた駅のホームを這う赤ん坊。
自国に不満を持ちながら、カナダに留学してきた韓国人。
日本に憧れを持っているけれど、ビザが高額すぎて、
入国すらできないパキスタンの女性。
キリマンジャロのガイドをしながら、大好きな妻と暮らすタンザニア人。

この世界には自分の 力ではどうにもならないことも存在している
ことは事実である。
ほとんど夢は叶うと思っているけれど、
もしもその夢が宿命に逆らうような夢の場合は
自分にも、神様にもそれは動かせないだろう。
動かせないならば宿命は利用するか受け入れて
別の方向を向くかしたほうがいい。

もしもあなたが大金持ちのぼんぼんで
そのことをコンプレックスに思い、
普通の人のように振舞っているならば、
個人的には、損をしていると思っている。

ぼんぼんはぼんぼんらしく、その家に生まれた宿命を
大いに楽しみ、普通の人にダイナミックな遊びを教えてあげるとよい。
宿命は受け入れて、利用する。

2014年1月21日(火)
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

39 物語

物語

人生最高の物語を残していこう

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自分の歴史をファイリングする。
小学校時代の国語の授業で
写真撮影についての文章があった。
「写真を撮影している時は今を生きていない」 そういう感じの
文章だったことを覚えている。どういうことかというと、
写真というものは未来の自分や、周りの人たちが、過去の
自分たちのことを懐かしんだり、振り返ったりするための
ものを現在製造している行為になるということだからだ。
だから、今という時のために生きている行為ではないので、
著者は写真を撮影することをしない、という内容だった。
その当時の僕はその文章に強く共感していた。
その時代、写真といえば、「写るんです」のような
27枚限定の使い捨てカメラが主流だった。
一枚の写真を撮影するためにどこれほど集中しただろう。
未来のために写真を残すことに意味を感じられなかったのだ。
しかし、これは冷静に考えると、 そもそも僕たちのありとあらゆる行動の
すべてが未来につながっているから、今を生きているようで未来を生きているし、
未来において、今を振り返ることもあるのだから、
過去を生きているともいえるんじゃないかと思いだした。

夢を追いかけるにあたって、自分のやっていることを記録していく
ことは本当に大切なことだ。
それは記録の写真を撮影することもそうだし、
日記のような文章を残していくことでもある。
そういう事柄がつもりに積もって、
あなたというブランドが構築されていく。

なりたい自分になるために、
いきたいと思う場所にいくために、
今よりももっと稼ぐために
人生をもっと面白くするために
ありとあらゆる夢のために
世界平和を願うために

あたなが何者で世界に向かってどのよな人物、
物語を叫んでいるかを告白する必要がある。
必要があるというよりは、
そのようにすることが、あなたの人生を豊かにすることにつながっていく。
人はあなたがどのような人生を歩んできて、
どのような夢を持っていて、
そのためにどんな物語を創ってきたのかにとても興味がある。
一度きりの人生だから、最高の物語をココロの中だけでなく、
ぜひとも紙やデータで残していくといい。

2014年1月17日(金)

38 詳細

詳細

ミクロに物事を見る

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個人的な特徴ではあるのだけれど、 僕は豆なほうである。
たぶんA型の中でも平均よりは上に位置する豆さだ。
絵を習っている時、デッサンなどではちまちま細かいところをつめていると
全体のバランスが崩れてしまうので、一定時間ごとに絵を離して見るように教わる。
ミクロ目線で鉛筆を走らせている時は確かに全体像は見えない。
しかし30分ほど描き込んでから離れて絵を見てみると
クオリティが上がっていることに気づくことができる。
逆に黒く塗りすぎているところや、明暗がつきすぎているところが際立って目立つ。
この気づきは確かに重要だ。
ミクロ目線とマクロ目線の組み合わせは間違いなく重要である。
近くで物事を見ているだけ、目の前のことに追われているだけでは
美しい全体像、すばらしい人生観を得ることは難しいだろう。
客観的に目を離して、人にも意見を請いながら進行させていくほうがいい。

しかし、 このマクロ目線を使うのは一瞬でよい。
地球を宇宙船から見ると青くてきれいだ。
一瞬で美しいことはわかる。
しかし内側のさらに内側にいくとどうだろうか。
我々人類は過ちを繰り返しているかもしれない。
環境破壊は進行し、動物は大量に殺されているかもしれない。
それでも地球は美しく、あなたの今日は平和に流れ、
どこかの誰かは餓死している。

マクロ目線は一瞬でどうなっているかを判断できるのに対して、
目の前の事柄、目の前の計画、目の前の細かいリストを一生懸命に
細かく認識して、処理することはものすごく重要である。
それがなければマクロ目線は必要ではない。
目の前のことがぼんやりとこなされているとしたら、
その規模がその人にとってのマクロ目線である。

この小さな小さなあなたの世界をどれだけ綿密につめていくことができるか。大切なことはあなたがどれほど豆になって、
ものごとを、夢を成功の道を具体的につめていけるかである。
ものすごくミクロに詰め込まれた計画、思想、創造ができあがったとき、
そのダイヤモンドを少し離れて見てみよう。
その輝きはどれほど美しいか、想像できるだろうか。

2014年1月16日(木)東京
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

37 大人

大人

幼稚な世界にだまされないように

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大人になって社会に出たときに、えっ!
大人の世界ってこんなに幼稚だったのか。
と思ったことはないだろうか。

自分が子供だったころ、小学校5年生までサンタさんを信じていたころ、
大人というものは限りなく神のような存在で、
社会というものは限りなく、壮大なドラゴンクエストのような難解で
わくわくして、冒険が目白押しの世界だと思っていた。
もちろんそういう見方をすることもできる。
世界はもちろん面白いし、冒険的である。

個人的には自分が30歳を超えて大人という生き物になった時、
周りを見渡して、すべてがシンプルな世界であることにしばしば気づかされる。

商標を取得しに特許庁を訪れた時、申請するための書類の簡易さには驚いたこと 。
あらゆる書類は単純に判子で承認を得る。
週末は飲みにいくかパーティにいく。
子供が生まれたら子供の話をする。
テレビを見てすごす。
決められた職業のプロとして、同じことを日々繰り返す。

すべての大人の世界には冒険が広がっていると思っていた時期があった。
学生のほうがさまざまな専門的知識を日々とりいれながら、
悪さをしたり、恋愛したり、絵を描いたり、ギターを弾いたり、
世界に冒険に出たりして、複雑でアドベンチャーに生きている。

つまりこの世はまったく難しくなくて、
ものすごくシンプルで幼稚な仕組みで完成している。
なにも恐れることはなくて、
なにも難しいことなんてなくて、
人間はただ、地球の中でシンプルに存在しているだけだ。

子供のころはそんなシンプルさに気づかなくてl、
(今でも実はまだ勘違いする日もあるのだが)
世の中を、大人の世界を、ものすごく複雑で難しくて、崇高なものだと思っていた。
大人になってみれば、すべてが簡単であることに気づくはず。
大人になっても気づかない人も多いはず。

あなたがまだ10代でも堂々とパーフェクトであることを認識して、
大人と同じような目線で意見し、大人にアドバイスをもらうといい。
上も下もない。人間は人間だから。

2014年1月16日(木) 東京

36 証明

証明

夢を証明する

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ギネスでも、紅白歌合戦でも、どこかの大学の教授でも
その人が何者で、どのような経歴を持っているかを証明するものをもっている。
誰が見ても認識できる形で証明できるようにしない限り、
あなたはなにをしている人なのか誰もしることができない。
夢が叶ったことを自分だけが知っていれば満足できることもあると思う。
だけどこのような本を読みながら、思い描いている夢は
誰もが、あなたのことをわかりやすい形で
夢が叶った人ということを認識できる状態を目指していると思う。
もし自己満足だけが目的の場合でも、自分のために証明があるほうがいいだろう。

我々は必ず死ぬわけだから、この世にあるものすべては
永遠ではない出来事、ものはレンタルに過ぎない。
人間はそもそも生きた証を残すために生きているのかもしれない。
その代表的な証が子供である。

時分の分身をこの世に残していくことが本能に刻まれた
証明を創る作業になる。
これ以外にもたくさんの栄光をこの世に残しておくことが
夢の実現につながることになる。

我々のような芸術家は生きているうちに死後の世界を創る作業である。
すべての作品が生きた証であり、
子供等しい価値を有している。(個人的にな感情も大きいが)
絵の場合、誰が見てもわかりやすい実績になり、
何を行ってきたかの証明となる。

これは子供と同じだ。
あなたがもしもラーメンをたくさん食べて生きることが夢であれば、
食べたラーメンの写真はもちろん、感想や食べた日時は書き留めておいた方がいい。

これからもう少し時代が進むと見たものすべて、感じたことすべてが
記録できる時代になるだろう。
漫画の攻殻機動隊に出てくるような
機能を人間が持つことができるようになるのだろう。

ただ、それまでは自分が創った栄光はきちんと記録し、
夢の達成の証明を創っておくといい。


2014年1月15日(水)

35 情報

情報

奇跡の時代。

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十年前と情報の入り方が違う。地球の中にいるならば
得れない情報はほとんどなくなった。
自分の親の時代は情報がものすごく手に入りにくかった。
というよりも、情報の形と価値が全く異なっていた。
僕の父は昔大学にいきたかったけれど、その時代の父のおかれた状況では
大学というところにいくための情報や、お金の集め方などを
取得することが難しかった。
個人的に思うことだけれど、父の能力ならば、
ある程度の大学にほとんどお金をかけずに入ることも可能だったはずだ。
海外にだっていけたかもしれない。
でもその時代ならば、周りのみんなも情報が少なかった。
情報が少ない、あるいは情報を必要としない社会の中では、
幸せの形も今とは違う。

今では考えられないほど小さな功績により、より大きな実績を得ることができただろう。

僕が大学に通っていたころ、Yahooがギーギーいいながら、
ものすごい時間をかけて、ネットから情報をもってきてくれた。
あの時代、アメムラのどこのクラブが熱いとか、どこどこの
服がかっこいいとか、学校の雑誌や学校のファッションリーダーからの情報でうごいていた。
ほんの10年前くらいの話だけれど、海外の情報なんて、ほとんど入ってこなくて
僕自身今では考えられないくらい、海外にまったく興味なんてなかった。

お世話になっていた教授はしきりに
「英語を勉強している暇があったら、絵を描きなさい。
英語が必要な場所にいったら、通訳をつければいい。」だった。
いまだにこの言葉はココロに残り正しいことだと思う。

だけど僕は29歳の時にカナダに英語を勉強しに行く道を選択した。

今はインターネットはどこにでも一瞬でつながって、
海外に行きたいならばワーキングホリデー(年齢と英語力と予算的に)しかないと判断した。
そしてその当時の僕は、この選択が最高の未来へのステップとして疑わなかった。

しかしトロントで圧倒的な挫折感を味わうことになる。

ワーキングホリデーという手段が日本社会、再就職の現場でどのようなキャリアになるかは
関係なかった。ただ、目の前にある情報と周囲の状況を元に判断した。

父の場合もそうだったに違いないと思う。
彼はその時代の情報の中で最高の選択をしてきたのだろう。
高校を卒業して、大手金属会社で働き、息子2人を私立の芸術大学にいかせたのは
今の自分ではやり方の想像がつかない。

常識という情報を選択することもできる。
非常識や、海外サイトからの情報を選択することもできる。
夢のための情報もたくさん落ちている。
地球上の情報はもうすべての人が手に入れられる状況になっている。
その中であなたが今日、獲得し、わくわくした情報はなんだったのだろうか。

2014年1月15日(水)
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

34 お金

お金

お金は最高だと思えることに使う

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あなたはお金を使うときにどんなことを思いながら使っているだろうか。

絶対に必要だけれど、使いたくない出費はあるだろう。
「このお金を使わなかったら洋服が買えるのになあ」
「家賃高いから払うのはいやだわ」

ではあなたが旅のためにお金を使うときはどうだろうか。
シンプルに「ものすごくわくわくする」
少し旅費がかさんで「うわー使いすぎたかな」
かたや「家族との旅行かあ、めんどくさいなあ」

お金を使う時に人によって、また状況によっては感情のモチベーションが異なる。
どうせ出て行くお金なのだから、胸をはって自分を信じて、
社会貢献だと思って、堂々とお金を手放せばいいのである。

これは尊敬する本田健さんもおっしゃっていたことだが、
本当にその通りだと思う。
いやなことでも、その状況から逃れられない、どうせ絶対払わなければならないのだったら、
もうしょうがないのである。
気持ちよくない状況は人生の中で少ないほうがいい。
気持ちよく押し出したお金は気持ちよく返ってくる。
この世界は本当にそんなシンプルな循環が存在する。

だからなるべく、自分がわくわくしないものにはお金を使わないほうがいい。
夢を叶えるための道具を買えばいい。
あなたが単に太ると感じるならば、目の前のファストフードに手をださず、
青汁を買うほうがいいかもしれない。
時間を浪費するかな、と感じながら、漫画を買うのであれば、
夢に近づくような気がする自己啓発本を買えばいい。
車のレンタルがどこかもったいないと感じていやならば、
愛車を購入するほうがよっぽど感情的にヘルシーである。

自分が大好きだと感じる家族のためにプレゼントを買うのも素敵だと思う。
人生を大きく変えると感じる海外留学はとてもよいいと思う。

お金の使い方は人それぞれである。
どんな気持ちで使っているかも人それぞれである。

2014年1月14日(火)

33 左右

左右

二つの人格

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僕は昔から絵を描くことが好きな少年だった。
昔は体重がいまよりもものすごく多くて、高校時代はラグビー部に所属していた。

昔の僕は完全に右脳(芸術脳)人間で、ぼんやりとものごとを考える。
右の脳が芸術を司るという理論は、賛否両論あるけれど、
僕は個人的に右は芸術的な脳、左は一般的な勉強の脳だと確信している。
この脳みその構造を僕は「ガチャン」という音とともに切り替えることができる。
(もちろん実際に音はならない)

午前中は会社業務をこなし、ランチタイムはネットからスケッチを起こす。
お昼以降は経理作業、夕方から絵の色付け、夜は執筆をする。
こういった具合に右脳を必要とする仕事と、左脳を必要とする仕事を交互に行うことで、
脳をリフレッシュさせる。

この脳の使い方は本当に最近で、26歳以降くらいから行っている。
右脳も左脳もトレーニングで鍛えることができる。
例えば、メーカーに入って、膨大な商品の在庫管理をするために、
何千行もあるエクセルファイルを扱っていると左脳が鍛えられる。

例えば、日曜日に海がきれいに見えるカフェに行って、
インターネットサーフィンをしながら、
未来を絵に落とします。この作業は右脳を使う。

そのときにその未来を具体的な計画に落としていく。
この時は主に左脳を使うと具体的なスケジュールになっていく。

右脳と左脳のバランスは人それぞれだと思う。
どちらかに特価していることも素晴らしい能力の持ち主だ。
両方がバランスよく育ってきた僕はその脳を使いこなすことで前進する。

脳の使われ方を意識するのは具体的な目標に向かって進んで行く鍵になる。

2013年1月10日(金) 渋谷 某オフィス
2014年4月4日(金)京都行新幹線

32 無理

無理

無理なものは無理だ。

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人生はロングマラソンである。そういうことを忘れて、
たまに全速で走ってしまうことがある。
僕が28歳のころ働いていた会社では、
毎日朝から夜遅くまで目の前の仕事に全力で向かっていた。
それこそ、息切れがするくらいに、時には精神的にきついので、
風邪といつわって休む。
時分の中では精神的に身体が動かない状態は
仮病ではないと考えているが、
世間的には間違いなく、単なるずる休みになるのだろう。
毎日息切れがするくらい働いていると、
結局のところ3年でやめてしまった。
その時には気づいていなかったが、振り返ってみるとよくわかる。
自分のキャパシティ(適応力)を理解できていなかったのだ。

数年後にはコンピューターが人間の脳のスペックを上回るというが、
人間というのは、一部を除いては、本当にそんなに
すごくたくさんのことはできないようにできていると僕は思う。
少なくとも自分のキャパシティを認識して、
そのことを周りにアピールしておいたほうがいい。
なにかをやりたい時に、目の前のことに追われすぎてしまっている人はとても多いように感じる。
往々にして目の前の仕事は
「自分の人生にとって長期的にみて重要ではないが、早急に処理しなければならないこと」 だ。

もしあなたにもっと他にやりたいことがある場合は
その目の前の無駄なことは減らしたほうがいい。
減らすときにさまざまな困難が伴うことも予想できる。

ここで言っていることは、
「会社をやめたほうがいい」
ということではない。

目の前のことがやりたくないことならば、
やりたいことのために利用する方法を考える。
いきなり会社を やめてしまったりすると、単純に生活が厳しくなって、
夢どころではなくなっていく人をたくさん見てきた。
つまり、一見目の前の不要に見えることが未来で なんらかの
形でつながってくる可能性を考えてみることが大切だということである。

ただし、キャパシティをオーバーしている場合、無理なものは無理。
この法則は変わらない。
今目の前にあるもの、あなたの夢の方向性のために、あなたは無理をしていないだろうか。
人間、無理なものは無理である。

2014年1月9日(木) 田町
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

31 永遠

永遠

人生は、全てはレンタルである。

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この世界において、
今自分たちが本や文章を読むことができるこの
世界において、永遠というものは存在しない。
人間は死ぬし、星だって滅ぶ。
時間という流れて行くものが存在するこの次元の中では、
ずっと同じ状態でいることはあり得ない。

昨日読んだ文章に面白いものがあった。
とある大金持ちが答えた、結婚する女性についての文章だ。
外見の美しさはやがて衰えて行く。確実に。
つまり、価値が確実に落ち込んで行く投資物件であるという。
その男性の所得は年々上昇していく。
美しいだけの女性の価値はどんどん低下していく。
価値の反比例が起こるために、一流のその男性は絶対に外見だけでは
結婚相手を選択しないという話だ。
僕自身結婚相手は外見の美しさがかなり重要だと思っていた。
確かに外見だけが美しいだけの人は苦手である。

単なる美しさというものは、花の寿命と同じで本当に短い。
人の寿命との比較ではなおさら短い。
結婚は結婚をする時点での端的な契約に過ぎないのかもしれない。
本当に明確に未来を見渡せる力を持っている人間なんてごくわずか、
もしくは、一人もいないのだろう。
(時空を人間や意識が移動できないものだとしたら)
未来を見通せない限り、予測で契約を結ぶしかなくなってしまう。
その目の前の人物が20年後にどうなっているか。
確実に現在とは違う人間になっている。似ているけれど、状況や、
場合によっては正確も正反対にあんっているかもしれない。
この世にいないかもしれない。

今、仲のよい関係も、
今、とても悪い状況も、
今、お金を落とした事実も
今、誰かとお別れした現実も、
今、美味しいと感じる食べ物も、
今、大好きと思える母親も、
今、ピカピカの新車も、
今、ニャーとなついてきた子猫も、
今、愛する我が息子も、
今、キラキラと眩しい太陽も、

全て時間と供に変化していく。

どんどん前に進んで行く。

やりたいことも夢も、どんどん変化していく。
どうせ変化していくものならば、恐れず目の前の状況を信じるしかない。
占いに頼るのもよい。おみくじをひくのもよい。神に願うのもよい。
どうせ変化していくのならば、今燃えている感情に素直に進めばいい。
未来でどうなっているかなんてどうでもいい。
100年後にはあなたはこの世界にいないのだから。
あなたの身体はレンタルだから。
今、思いっきり楽しもう。

2014年1月7日(火)東京 自宅
更新:2014年4月4日(金)京都行新幹線

30 歓楽

歓楽

頑張らなくていい

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自分が尊敬する師匠から言われた言葉に、
「頑張る」と「楽しむ」の言葉のロジックの経験がある。
この経験は僕にとってはものすごくココロに響いた経験であった。
昔から日本人の美徳として、汗水流して頑張ることが素晴らしいとされている。
努力すれば報われるということも同じようなことである。

僕は2013年9月に二周目の世界一周の旅を決行することにしたため、
師匠にこのことを報告したいと思った。
この時の自分にとって世界一周するという決断は
ものすごくお金を投資するイベントであるし、
日本を離れる時間も長いために、たくさんの仕事が進行できなくなるかもしれないと
いう恐れがつきまとった。
僕にとっては一種の大きな大きな決断になる事柄だ。
このような大きな決断には通常、「努力」「がんばり」がつきまとう。
僕はこの世界一周スケッチの旅を、文字通り、
「頑張って旅して絵を描いてきます!」
と、師匠に報告をした。

それに対して師匠が言ってくれた言葉。
「がんばらなくていいよ。楽しんでおいで」

他の人には響かないかもしれないけれど、
この時の頑張りモードの自分にとってはものすごくインパクトのある言葉であった。
僕は一生のうちに何度できるか分からない、世界一周という経験を
汗水たらして行う辛い労働として演出してしまおうとしていたのだ。

そんなに辛い旅行ならばいっそ行かないほうがいい。
辛い感覚で描く絵がどのような絵になるかは見えている。
師匠は本当にシンプルな助言をしてくれた。

楽しいことをやっている人に人は憧れるし、
周りの人にハッピーを与えることもできる。
もちろん努力は必要だし、汗水たらして旅をすればいい。
ものすごく綿密に旅の計画を立てて、疲れるのはいい。

ただ本番はとにかく楽しむことだ。
ほんのわずかな言葉のあやかもしれない。
だけどこのマインドセットの違いはものスゴく大きい。

自分が大好きなことをやるときは、緊張してもいい。
思いっきり楽しもう。

2014年1月5日(日)新幹線
更新:2014年4月4日(金)新幹線

29 能力

能力

自分の思いつくアイデアは既に誰かがやっている

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どんなに頭のいい人でも
どんなに美人でも、
脳みその形やスペックはほとんど変わらない。

人間は人間であり、
基本的に同じような欲求があり、
基本的に同じような行動をしている。

アイデアに関しても画期的なものは
既にどこかの誰かが考えだしている。
このシンプルなアイデアに
自分のオリジナルの経験が重なってミックスされる。
能力をかけ算していくとオリジナルになって行く。

僕の能力の場合は
商品企画の知識×WEBの知識×グラフィックデザイン×
マーケティングの知識×営業力×社交性×自我×英語×facebook×世界遺産×絵×時代
のようなかけ算になる。

単に富士山の絵を描くことは昔からよくしていた。
風景の絵を描いている人はものすごく多いので
「特別な人」になることはできなかった。
富士山の絵がいくらうまくても誰かに評価されるほどではなかった。

どんな人でも大好きなことはある。
だけど、大好きなことを仕事にしたり、
それだけを毎日やって生きて行くことはとても難しいと感じると思う。

もし自分が好きなことがあったら自分の能力との
かけ算をしてオリジナルミックスジュースを
作ってみる努力をしてみてほしい。

営業の経験、恋愛の経験、
ドライブが好きという経験
神社が好きという経験、
カメラが趣味という経験、起業の経験
父親が庭師であるという経験、

経験は夢を叶えるヒントになっているし、
経験はあなたに素晴らしい能力を与えていることが多い。

もしあなたが「○○○になりたい」
という夢を持っているとしたら、
その夢にあなた自身の経験と能力をかけ算してみよう。
ミックスアレンジすることで夢が転がりだすはずだ。

2014年1月4日(土)大阪梅田
更新:2014年3月21日(金)新宿御苑



28 道

それ以外の可能性は考える必要がない。

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夢を叶えようとしたり、
いろんなことをうまく行かせようと頑張っていると
必ず現れるのが大きな選択肢だ。その選択肢はいつも同じ大きさをしていて、
同様のリスクや楽しさがある。もしくはリスクが少ない、楽しさが大きいものに対して、
楽しさが小さい、リスクが大きいという感じで
バロメーター的に等しくなっているケースがある。
この場合は基本的に楽しくてリスクが高い方を選ぶのがおすすめである。
これは岡本太郎さん受け売りにすぎないけれど、
人生は無限ではない限り、
今自分のココロが少しでも恐る方を選択する方が
よさそうだと僕は感じているからだ。

こういう選択をしながら生きていると、
「ああ、あの方がよかったかな」
「こっちの道を選んで損をした。」
という感情にたびたび出会うだろう。
このように文章になっていると、
こういう経験は当たり前のように起こりうるという感覚が
理解しやすいのではないだろうか。
人とは違う道を選択したりする方がわくわくしたりしやすい。
そして、人と違う道というものは孤独がつきものである。
人並み生活を選択しても、ダイナミックな人に憧れたりする。
当たり前のことだが、改めてやはり人生は一本の道だけしか用意されていないのである。

タイムマシン系の映画やアニメを見ていると時間の流れは複数の時空場の線を流れていて、
一人の人の人生、世界の時間軸は複数あるという映像がうまく表現されていたりする。
少なくともこの考え方も間違いではないだろう。
時間が一本であるかどうかは分からないし、僕はおそらく多数本の時間が流れていると信じている。
そういう考え方には壮大なロマンと夢がつまっている。

だけど、ことこの自分自身が体験できる経験は一本の人生だけだ。
一本の人生には後悔がつきまとうかもしれない。
そしてその後悔もまた、とても良い経験になる。
大きな後悔の後には、うまく最良の経験が用意されている。
これは相対性の原理からくるものだが(別途記述します)、
神様がくれたこの世界で生きることの最大のプレゼントである。

道は一本しかない。
だからどんな選択も自信を持って決断する。
そしてなにが起こってもそれがあなたにとっての最高の選択、
最高の道であることを改めてココロに刻んでおこう。

2013年12月28日(土) 京都市

27 服装

服装

見なりに気を使う

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かっこよくしてないとだめだよ。
と尊敬する友人に言われてはっとしたことがあった。自分の服装がものすごくださかったのだ。
というよりも長年同じものをただ纏っていて、その服にはもう覇気というか、
生気というか、そういうものが全く感じられなかった。
現代人は基本的に裸で出歩かないため、服装がその人の見た目の70%くらいの比率を締めている。服装がその人の正確や生活を全て表現しているのだ。
その当時の僕は服に拘ることを全く忘れていた。
原宿を歩いていても
「若いな〜」という気持ちで
自分があたかも大人になったかのように思っていた。
それは全て勘違いである。
この現象はまさにたるみ。
自分を愛していないがために、
自分の見た目を磨くことを忘れている状態である。
仕事に没頭しすぎている時、お金がないとき、
歳をとったとおもっているとき、夢とファッションは関係がないと思っているとき、服装に関して手を抜いてしまう。
僕は昔「売れたらおしゃれしよう」と言っていた。
金持ちの友達は「売れるためにおしゃれするんだよ」
といっていた。その友達は個人的なスタイリストをつけていた。テレビやメディアに出る仕事ではない、にも関わらずだ。そんな友人の元には毎日多くの仕事とお金が舞い込んで来る。
周りの人の中で、身だしなみに気をつかっている人が何人いるだろうか。現世で成功している人は、身だしなみに拘っている。
2013年12月27日 羽田空港

26 未来

未来

今の行動のすべてが未来と繋がっている

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あらゆる本に書かれているようなタイトルだが、
本当に心の底から
今と未来のつながりを感じて行動できているかは分からない。

未来と今が繋がっていると感じた時、
今目の前にあるすべての空気、色合い、純度のようなものが
転換して感じられるタイミングに出会う。

現状のくだらない仕事が
「きちんと全て無駄なく未来に繋がっている」
そう信じられるかが、肝心だ。

自分の夢と今目の前にある現実に
まったくつながりを感じられないとしても実はあまり関係がない。
どれほど離れていても夢をココロからかなえようとする信念があれば、
思わぬところから繋がっていくからだ。

僕は昔から自分の絵柄を用いた商品が発売されることが夢だった。
この夢は不思議な巡り会わせで実現していく。
僕はかつて香水プロダクトの専門商社において、
マーケティングと言う部署に従事していた。
この時に学んだことは商品企画、商品管理、人材マネジメント、
販促、PR、クレーム対応、営業、
グラフィックデザインなど商品を販売
するためのノウハウのすべてだ。

振り返れば、当たり前のようにリンク
しているような仕事であったが、
面白いのは当時は目の前に仕事に追われて、
「こんな仕事が時分にとってなんのプラスになるんだ」
と思っていた。

実は繋がっているのはここだけではなく、
その会社を退職してからしばらくしてから、
同じ会社の営業部の人から誘われた飲み会で知り合った
雑貨メーカーの男性と意気投合し、
絵柄を用いたボクサーパンツが誕生したのである。

自分の絵柄を用いたプロダクトという夢はこの時点で完全に叶い、
また新しいプロダクトへと夢は増幅していくのである。
この未来にいたるまで、実に5年という一見関係のない現在を重ねてきた。
現在目の前にある事柄には特に意味を感じなくていい。
信念が夢をつむぎ、未来を創造する。

2013年12月25日(水)
更新:2014年3月21日(金)新宿御苑

25 覚悟

覚悟

夢を叶えるか、叶えないか。

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覚悟の決め方は昔よりも簡単になったのかもしれない。
起業する時もそこまでリスクを追わずに
ライスワークを継続しながら自分の好きな仕事を少しずつ初めていくこともできる。
僕の絵のビジネスはまさにそうで、デザインワークやマーケティングスキルを使って、
生活費を創り出すことも多い。
自分の好きなことだけで、生活を切り盛りしていかなければならないと
想像しただけでもしんどから、好きを仕事にするよりも、
好きだけを選択しないという道を選択する
覚悟も実に有意義だ。

覚悟を決めるというのも大小様々だ。
ここでいう覚悟は

「夢を追いかける道」か、
「夢をおいかけない道」か、
そしてその覚悟を決めるタイミングについてである。

やはり人間は歳をとるので、夢によってはリミットがある。
いくら何歳でも夢はおいかけられるし、叶えられるとは言っても
覚悟を決めるのが遅ければそのリスクはどんどん増大していくだろう。
単純に早めがいいというわけでもないけれど、
自分の場合は子供の頃からずっと変わりなく
夢を追いかけ続ける人生を選択している。

30歳になった時に、初めて覚悟の感覚を持った。
「画家として生きる」
この覚悟はその後の人生、
他人からは「浮く」ということを示唆していた。

僕は「目立ちたがりやの恥ずかしがりや」という
特性を持っているので、この「浮く」可能性が実に怖かった。
でも夢を追いかけるという道を外れることができなかった。

逆に夢を追いかけない道についても大きな覚悟が必要だろう。
人生、夢がなくても愛があれば本当に幸せになれる。

どちらにしても幸せであれば、早めに覚悟を決めるといい。
覚悟を決めてしまったら、僕たちはただ死ぬまでの暇つぶしを
全力で楽しむだけである。

2013年12月25日(水)
更新:3月21日(金)新宿御苑

24 失恋

失恋

失恋はチャンスだ。

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そして失恋というものは恋をしている時にしかすることができない。
結婚をしたら失恋はなかなかできないのではないだろうか。
ある程度若いうちに経験する事柄の中ではどんな経験よりもショックだ。
昔から、大きな失望を乗り越えると人間は強くなると言われる。
この恋はたくさんしたほうがいいし、とことん本気になるべきだ。
2人の人間が別々のアイデアを持って進んでいくのだから、
失恋という経験は往々にして起こりうる。

大切なのは失恋をした時に自分とどのように向き合うかである。
眠っていた夢や目標を思い出して無我夢中で駆け抜けるかもしれない。
過去になってしまったその人をぐだぐだと追いかけるのかもしれない。
現代において、ここでストーカーになってしまうと、
人生はうまく進みにくいので、それはおすすめはしない。
ただ、この世界での人生とは一本の道しか用意されていない、
あるいは物理的に経験ができないために、どの道を進んでいてもそれが正解であり、不正解である。ただそこに事実が積み重ねられて行くだけだ。
大きな衝撃や失望を受けたら、ココロの赴くままに
大いに自分を癒してあげよう。
そしてそのタイミングこそ、夢を思い出すチャンスだ。
その人とうまくいかなかったことには意味がある。
自分がその人以上に大切にしている、あるいはするべきことがあるということに等しい。
思いっきり失恋をして、潔く乗り切ろう!
(と、自分にも言い聞かすのであった)

2013年12月24日(火)クリスマスパーティ

23 幸福

幸福

今幸せでいる覚悟

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あなたは今幸せですか?
夢が叶っていますか?
でも夢が叶っていたら、次の夢がまた現れるのでずっと夢が叶う状態というのは、
本当に素晴らしい状態だ。

全てをつかみ、夢がない状態というのは、空虚であるのかもしれない。
幸福というものはある意味幻想なのかもしれない。
幸福感は自分の脳が見せているフィルターだ。
昔のマトリックスという映画を見たときに、その世界観をあまりにもリアルに
表現していて、当時ものすごく驚いたものだ。

「あなたは今幸せですか?」
という問いにたいして、どれくらいの人がココロの底から
「YES」と答えられるのだろう。
僕の仕事は風景を描くものなので、
世界中の国を見て周ることが多いけど、
日本という国は圧倒的に豊かで素晴らしい国だと確信する。
これは誰もが気付いていると思いますが、
日本のメディアの中では、
日本に不満をぶちまけるものが多いのも事実だ。

まず日本人が認識した方がいいことは、
僕たちは日本という国の中にいることがどれだけ幸せであるかということだ。

この地球という世界の中にはあまりにも不自由で、
無秩序で、混沌とした世界というものが
数多く存在する。

話を戻しましょう。
幸せというものは自分の価値観を正確に認識して、
コントロールする作業だ。

夢の大きさも自分の大きさに対して、コントロールするとよい。

例えば、「宇宙の平和を願う」という夢は、とても素晴らしいことだけど、
多分僕には到底叶えることができないことを僕は知っている。
そもそも宇宙が平和ではないと思ったことない笑。

自分の立ち位置を正確に認識して、自分がいかに恵まれているかを再認識する。
あとはどんなに辛いときでも、泣きながらでも、幸せでいる覚悟を決めると、
実際に幸せという現象を呼び寄せることができる。
辛い時にあえて笑うという行為は
身体によいということも実証されてきている。
もしあなたが崇高な夢を持っているとしたら、それだけでも圧倒的に幸でだ。

日本人の幸福度は低いというメディア情報を鵜呑みにするのではなく、
世界に対して、自分が幸福であることを堂々と今、
宣言しよう。

2013年12月21日(土)目黒
更新2014年3月21日(金)新宿御苑

22 証

現世にいる間に自分の中にあるすべてを出す

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飛行機からの景色のシーンでも書いたけれど、
僕たちがこの世界で、この時代で生きている理由というのはないのかもしれない。
だから、失敗することにもほとんど意味がない。
逆に大きな成功を納めても特に意味はない。
どんなに偉大なことを成し遂げても、
どんなに多くの人を殺しても、
最終的に人間も動物も植物も地球や太陽や宇宙だって、
時間が流れれば変化して消滅していく。
そして新しい光とともに現世という場所に生まれて来る。

そんな不思議な世界の中で僕は生まれて取り合えず生きているのだから、
思いっきり目の前に広がっている世界を楽しいことで一杯にしたいと思うんだ。
つい最近母がたのおばあちゃんが亡くなって、たくさんのことに気付かされた。
前からおじいちゃんたちが亡くなった時から分かってはいたけれど、
僕たちは死んでこの世からいなくなってしまう。
生きている間にできることなんて知れているけれど、
とにかく僕の両親が教えてくれた確信をつく言葉につきると思っている。

「人に迷惑をかけないように、自分のやりたいようにやれ」

僕は、現世で偉業を成し遂げられるとは思っていない。
けれど、
自分が死んでしまった後も生き続けるものを創造したいと思っている。

実はその答えがアートという分野だったんだ。
身体がなくなっても、自分が残した作品は世界に残るだろう。
このことを考えていると、とてもわくわくするんだ。


2013年12月19日(木)雨、東京タワー
更新:2014年3月19日(水)

21 塊

最初から一人前にはなれない

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いうまでもないが、どんな偉人も最初は赤ん坊だった。
なにかを始めようとする時、僕はいつも焦っていた。
結果をすぐに出そうとするから、気持ちばかりがすり減って行く。
物事が起こった時にどのように捉えるのかが肝心だ。

昔、初めてデザインの仕事が入ったとき、
チラシ一枚が1万円の報酬だったとする。
それがどれほどありがたいことか、
どれほど大きな一歩なのかその時の自分は理解できなかった。

「この仕事で一万円だったらあといくつ仕事をとってきたらいいんだ。」

最初に獲得した1万円の仕事に対してネガティブに捉えて
その仕事をめんどくさいと判断してしまった。
給料のように基本的に同額が振り込まれる仕事ではなくて、
自分自身のスキルで生み出した1万円というお金の意味をこの時はまるで知らなかった。

この金額はたとえば1円でもかまわない。
自分の力で創り出した、初めての貢献に対する報酬だったのだから。
これが100万円ならばテンションがあがってポジティブに捉えたかもしれない。
だけど、自分がやりたいことで生み出したお金はどんなに小さくてもものすごく価値があるんだ。


最初に世界遺産の絵を描いたとき。
ベンチャー企業のサラリーマンでなかなか休みが取れない時代、自宅の小さなデスクの上で、
小さなプリントの裏面に描いた サグラダファミリアの絵。
その日から毎日小さな絵を何枚も何枚も描いていった。

その絵が500枚を超えたとき、
Facebookのファンページには世界中から3万を超える「いいね」がついていた。
それに伴って、絵が仕事になったのである。まさに塵もつもれば、である。
プロジェクトもテストの点数も成功も、最初は小さいものだ。

その小ささにがっかりするのか、
それともポジティブに、
次の少し大きな成功を目指していくのかを判断するのは
自分自身のココロの問題だ。
目の前の小さな報酬にがっかりする前に、
その第一歩を生み出した自分をリスペクトして、
その小さくいびつな 塊を少しずつ転がし続けようと思う。
何年かたったとき、どれほど大きな塊になっているか想像できるはずだ。

2013年12月19日(木)東京テラス
更新:2014年3月19日(水)

20 友達

友達

苦しい時にそばにいてくれる人

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あなたは挫折したことがあるだろうか?

僕は29歳の時にカナダ、トロントに語学留学をした経験がある。
海外に行くことに決めた理由はとてもシンプルで、単純に「これからの社会は英語がないと」だった。
この時代遅れでバカな理由で海外行きを決めたとき、その選択が大きな挫折の経験も
プレゼントしてくれるとは思ってもみなかった。語学留学と称して、ビザはワーキングホリデー。
俗にいうギリホリ(ワーキングホリデービザは30歳までしか取得できない)だった。
ワーキングホリデービザを選択したのは、働きながらでないと全然お金が足りなかったからだ。
この決断をするまで僕は香水、化粧品の専門商社に所属していて、
本当にエキサイティングで、お金にもなんら困らない生活をしていた。
ものすごく素晴らしい仲間と上司、バブリーな会社ときれいな彼女がいた。
その他にもたくさんの充実した社会的地位がこの時代までは備わっていた。
前置きが長くなったけれど、つまりこの選択が、僕の日本の、特に東京での社会的な居場所を
まさに「ゼロ」に変えたのだ。希望に満ちたワーキングホリデー。
トロントについた一日目、その違和感に気付くことになる。
日本である程度の地位があった自分にたいして、20歳くらいの男の子が
「まっちゃん、クラブいこーや」という感じで声をかけてきたのだ。
そう、ここに来たということは、海外ニートになったということの始まりだった。
その後9ヶ月でTOEICの目標点(730点以上)を取得してなるはやで帰って来た。
この9ヶ月間は自分にとっては壮大な物語だったけれど、
あなたにとってはそうでもないかもしれないので、割愛する。

9ヶ月後に東京に帰ってきたとき、もちろん彼女と二人暮らししていた家は
とっくになくなり、家すらままならない状態になっていた。
それまで仲間として接してくれたいた友達は「ニート」という言葉を浴びせて
去って行った。この時代、自分にとっては夢も希望もなくなりそうになっていた。
当たり前のことだが、英語ができるようになっても、素晴らしいポジションが用意されているわけはないのだ。

このニート状態の自分を家に置いてくれた友達。
訳の分からない悩みをいつも聞いてくれた友達。
仕事のない自分と酒を交わしてくれた友達。
金のない自分にランチをごちそうしてくれた友達。
仕事が決まらなかった自分にアルバイトをくれた先輩。
夢を諦めるなと語ってくれた友達。

そんな友達たちは、ケータイやFacebookに登録された友達のごく一部のひとたちだった。
僕はこの経験をするまで、全ての人が自分のために動いてくれるものだと信じていた。

うまく行っていない時、愛を持ってそばにいてくれる友達は一生ものの宝である。

2013年12月18日(水) 市ヶ谷

19 インカム

インカム

好きだけで稼がなければいけないわけではない

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「好き」なことは稼ぐための手段になる場合もある。
僕は過去に一年間だけ、絵を売らなければならないという感情で絵を描き続け、
ノイローゼになりそうになった経験がある。
その時は、「絵以外の仕事はしてはいけない!」
「絵描きは絵を描くこと以外してはいけない!」
そんな気持ちで絵を描いていた。確かにそれは理想かもしれないし、理にかなっているだろう。
そしてそれくらいのモチベーションでやっていると意外と生活もしていけるものである。
その年は世界一周もして、絵を描くことで生きて行くことに成功はした。

だけど、この「なければならない」「べき」という言葉に縛られた生活は
絵を描くことを嫌いになりそうになるほど苦しいものだった。
うまくいっているようでもじわじわと感情が曇って行くことに気付く。
自分のライフワークで生活しなければならなかったのか。

最初から全て自分の好きで埋めなければならないわけじゃない。
自分の好きなことが好きでいられるように、ココロに余裕を持てる状態にしたほうがうまくいく。
それは全然時給のバイトでもいいし、
まず、生活の心配を「ライフワーク」に押し付けないようにしたほうがいい。
余裕がない状態では「好き」なことも「嫌い」に変化してしまうかもしれない。

2013年12月18日(水)市ヶ谷

18 好き

好き

君が好きなことはなんだろうか

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好きなことを並べてみる。
ゴルフ?お好み焼き?ネコ?スタバ?異性?星?
誰もがそれぞれ好きなことやモノがある。

それはココロの遺伝子に生まれたときから備わっている
ナチュラルな生きる理由だ。初恋の時にどうしてか分からないけれど、
あの子のことが気になって仕方がない。

だけどとなりの友達は特にその子のことを気にしていない。

確かにみんなが好きなものもある。
大勢の人が好きなことはある。
サッカーとか、平和とか、美人とか、旅行とか。

そんな中であなたがものすごく好きで堪らないこと、
またはモノがあるはずだ。

お金を稼ぐとかはもちろん度外視する。
好きなことは夢に直結していることが多い。

多くの人が起業する時に稼げるかどうかから入っている。
もしくは好きを仕事にしても稼げないから辞めてしまう。
「好き」を多いに仕事にするといい。

そしてその仕事をできれば「稼げない」という理由で辞めないでほしい。

確かにあなたは稼ぐことが「好き」かもしれない。
お金が「好き」かもしれない。
本当にお金が最も「好き」な場合はどんなことがあっても
稼ぐことにフォーカスできるはずだ。

あなたはきっと、もっと自分がわくわくする「好き」を持っている。
その好きにココロを踊らせて、辞めずに何年もやってみるといい。
驚くべき結果が待っている。

13年12月17日(火) スタバ
更新:2014年3月19日(水)

17 理由

理由

自分が生まれてきた理由について

飛行機に乗って街を上から見ていると、飛び立つ瞬間は見えていたヒトがどんどん見えなくなって、
車の動きも少しずつわからなくなって、家や木が混ざり合って、次第に大地が視界に入ってくる。
こうなってくると、この大地の中でうごめいている人や動物や思考や出来事は、ミクロの世界に入っていって、人間の肌の中でうごめいている細胞のように感じて来る。
ちょっと飛行機に乗っただけで、マクロの世界は見えなくなってしまう。本当に当たり前のことだけど、
飛行機に乗って窓から大地を眺めていると
「本当に人間って小さいなあ」
といつも思う。
昔から自分が旅に出るとき、飛行機に乗っている時は自分探しの旅をすることが多かった。
その旅の中で「自分はいったい何物なのだろうか」とか
「生まれて来た理由はなんなんだろうか」とか
よく考えることがあった。そう考えているうちは答えが出たり、
もちろんその答えだけじゃなかったり、変わったりで、自分と対話をし続けるしかなかった。
個人的な見解ではあるけれど、その答えは
飛行機の窓から眺める自分たちが暮らしている大地の光景に見いだすことができる。
「人間が生まれて来た理由はとくにない」
である。
自分たちが生活している中で、細胞ひとつの個性や夢について気にするだろうか。
太陽は地球の平和について気にしているだえろうか。
地球はあなたのニキビのことを気にしていない。
ただ静寂にそこに存在しているだけ。
僕は自分が生まれて来た理由とか使命を果たすとかそんなことはどうでもいいと思っている。
信じているのはただひとつで、
「現世を思いっきり楽しく過ごせればいい」
ということだけだ。
だから元々自分のココロの中にあるわくわくする情熱の火だけに耳を傾けて、
その方向だけに進むようにする。
大きなことを考えるよりも目の前の、ココロの中のわくわくにゆだねるだけ。

2013年12月16日 港区

16 太陽

太陽

なによりも太陽に感謝しているか

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自分たちがこの地球上で暮らしていること。
当たり前のことだけど、全ての要素が必要だけど、太陽はその最たるものだ。
太陽がなかったら、自分たちは存在できない。
僕が世界を周るとき、どこの国に行っても当たり前だが、太陽は同じように人々を照らす。
世界中まんべんなく、来る日も来る日も。
ぐるぐると周る地球の半分を照らし続ける。
古くから太陽を神とする多くの文化、文明。
人間は太古の昔から太陽に感謝をし続けてきた。太陽からたくさんの恩恵を授かって来た。
長年連れ添ったパートナーは当たり前の存在になる。
太陽は何億年も普通にそこにある。
そんな何気ないものに感謝することはとてもいいことだ。
太陽を浴びずに毎日を過ごす人はそれだけで病弱になり、ココロが病む可能性が高い。
一日に一度は外に出て、太陽をたくさん浴びるようにする。
そして日々、身近なモノ、コト、ヒトへの感謝を忘れない。

2013年12月16日(月)東京

15 超越

超越

基本的にはOVERしないように調節する

物事には限度があって、その限界を超えてしまうことがよくある。例えば、会社でひとつのプロジェクトに集中するあまり、毎晩残業が続き、ミッションのクオリティを上げ続けた結果、最終的に上司からそのプロジェクトの断念、もしくは先延ばしにしてやり直しを食らう。そんな120%の力でがんばり続けた結果、ココロが折れてしまい、その仕事を辞職することに繋がってしまったりする。
忘年会でお酒を飲み過ぎて、女の子に電話をかけてしまう。次の朝ケータイの送受信履歴を見たときにありえない数の女性に電話をしていてびっくりする。体重が増えて来ているのにカロリーをオーバーして食べ続けている。今月の予算がなくなってきたのに、クレジットカードに頼って彼女の誕生日プレゼントを買ってしまう。
ことお金に関しては、友人の伊勢丹のマネージャーが教えてくれたお金を貯める方法が最も正しいと思った。「お金は収入より支出を少なくすれば貯まるよ」
何事も限度を守ってキープする。実は自分の場合、自分の限界以上のチャレンジはしないことを心がけている。なによりも重要なのは目の前にイベントを遂行することじゃなくて、自分のキャパシティを超えすぎて、ココロが折れることを阻止し、情熱の火を絶やさないことである。

2013年12月14日(土)梶ヶ谷

14 選択

選択

少しでも弾かれているほうへ

選択はとても難しい。大小関係なく難しいと思う。
この「難しい」が発生したら答えは出ているも同然だ。難しいと感じる裏側には、自分がやりたいこと、やれない理由の戦いが生じている可能性がある。自分の考え方の中では、自分が弾かれる法へ進むことが絶対的な答えであると信じているので、その方向がとても難しい場合は選択に集中して燃えてくる。その道を選んだとする未来と選ばなかったとする未来を図りにかけてみる。苦労しているかもしれないけれど長期的に見ればその選択が自分の人生を加速させ、自信につながり、輝かせていくのだ。東京に住んでいると余計に感じるのかもしれないけれど、人生というのは本当に短い。(短いようで長いのだが)ひとつの選択に迷っている時間はあまり自分たちには準備されていない。
さあ勇気を持って選択しよう。(と自分に言い聞かす)

記初:2013年12月13日(金)

13 忘却

忘却

忙しい日常で夢を忘れない方法

夢を追いかけ続けるのはときに簡単ではない。

夢はいくらわくわくするとはいえ、
人間は忘れやすい生き物だ。
とにかく忘れないように
いつも意識できる仕組みを作っておくようにする。

自分の場合はエクセルで家計簿や日記をつけているので、
毎月のセルに夢や目標を書いておいて、
月が替わるごとに更新していく。

何年も前に初心として意識していたこともそこを
見ることで再度意識することができる。

人それぞれ、記憶の仕方はさまざまだと思う。
部屋の壁に手書きの文字で一筆書いておくのもかなり有効で、
自分の場合はデジタルとアナログの手法の
両方で目標を忘れないように常に意識している。

記初2013年12月4日
更新:2014年3月19日(水)

12 怒り

怒り

正義の行方

最近ようやく大人になってきたのか、なにもかもに腹たてないようになってきている。
一見間違っていると思えるようなことでもその人の立場にたって考えれば、
大義があり、正義のもとに行っている行為だったりするからだ。この考え方はとても有意義だと思う。どんなに間違っていると思えることでも全てが真実としてとらえて受け入れられるようになる。しかし疑問点というか、個人的な課題も浮上してくるのである。それは人に対して叱ってあげることができなくなってしまうことである。ある程度自分の世界観の中で、道徳的な正義と不正義を持っていないと単なる全行程の人になってしまうだけなのだ。全ての人の言動、行いは正しく、間違っている。
それは真実として変わらないから、誰かを正す(間違っていると指摘する、あるいは叱る)という行為事態が不可能になってしまう。
しかしこれでは世の中はうまくいかないし、発展することはないだろう。
真実を受け止めて自分の経験と照らし合わせて
反論することも時には大事だと感じる。
時には誰かを叱ってあげることもやはり必要である。
そうすることでこの自分の行為事態が相手に対して新しい考え方である真実として芽生え、
人間社会は向上していくのである。回り回って、やはり正しいことも間違っていることもやはり存在する。少なくとも自分たちの周りに愛を持って存在している限りは。

2013年10月16日

11 相対

相対

絶対的でなく相対性で捉える

物事の見方には相対性と絶対性がある。この違いを正しく認識しているだろうか。ひとつのものの中で善し悪しを判断するのが絶対性。2つ以上のものを比較して判断するのが相対性である。僕たちが悩みを抱えている時、自分の世界の中、つまり絶対性の中で善し悪しを判断している時がある。こんなに不幸なのはどうしてだろう。こんなにうまくいかないのは自分の生まれた星が悪いせいだ。経験は絶対性では感じることができない。経験は常に相対性によってつくられる。つまり悪い経験がなければ、目の前に起こった「素晴らしい経験」にさえ気付くことができないのだ。毎日フォアグラしか出てこなかったら、それは贅沢でなく、不幸な状態になってしまう。

失恋した時は、次の出会いにわくわくする。涙を流すほどのこの経験、この胸の痛みがあるから、次に起こりうる、最高の美女との経験を、心の底から最高のものへと押し上げてくれるからだ。辛いという状態が分からなければ、楽しいという状態も感じられない。この世界は相対的な出来事によってのみ、経験することができる。
もしも目の前の誰かがあなたに対して最悪をもたらしたとしたら、それはシグナルだと考えて、経験ボックスにしまってしまおう。その経験は次の相対的な素晴らしい経験への伏線にすぎない。

暑いという状態が分からなければ、寒いということは分からない。
苦いということが分からなければ、甘いということが分からない。
悪が分からなければ、善が分からない。
全てはあなたが、この素晴らしい世界を生きるために用意された相対性の伏線だ。

2013年11月03日 東京都新宿区



10 身体

身体

まじめに自分の管理をする

会社では売上や予算に関して、
面倒くさいけれど、こつこつ毎日エクセルでまとめたりすることが多いと思う。

でもプライベート個人のことになると会社の仕事でやっているほど、
きちきちとまとめることは少ないのではないだろうか。
だとしたら、少しもったいないような気がする。
自分自身のマネジメントにもっと時間と
クオリティを費やすことはとてもおすすめだ。
自分個人のための今年の収支のまとめ、来期の予算設定。
どんな旅をして、誰と会うのか。健康管理もそうだ。

また、人はお金の管理はこと細かく行っている人は多いけれど、
身体や健康に関しては二の次にしていたりする。

現世で大切なことはなによりもまず、健康だ。
この身体が朽ちてしまえばなんの貢献活動もすることができない。
魂もきっとやり残したことが少ないほうが喜ぶはずである。

毎日家計簿をつけるのはあたりまえ。
そしてカロリーを記録してオーバーしないようにするほうがいい。
ビタミンや鉄分、塩分や脂肪などの栄養を見て食品を選択するのはとてもよいことだ。
健康がなければ夢は達成できない。
そのためにお金の前に身体に対して
最高の待遇をしてあげるとよい。

2013年12月11日 港区
更新:2014年3月19日(水)

09 孤独

孤独

その時がチャンスだ

自分の夢を叶えようとする人々は往々にして孤独と戦うことがある。夢の大きさにもよるけれど、おそらく隣の人とは違う自分として行動している限り、孤独はつきものである。夢をおいかけていなくてもパートナーや友達が遊んでくれない場合、やはり孤独になる。日曜日の昼下がり、ふとスケジュールを見ても誰ともなにも予定が入っていな時、忙しさから逃れて、求めていたなにもおこらない時間がやってきたのに、人は孤独になったりする。そんな時は孤独に負けて、お酒に走ったり、お菓子を食べたり、浪費をしたりして過ごしてしまうかもしれない。そうすると一時心が満たされるが、ぼーっとテレビを見ているとさらなる孤独が押し寄せて来る。自分の場合、そういう時は、めんどくさいことをやることにしている。例えば、ランニング。寂しいと感じるとき、不安に感じるとき、思考が停止している状態をランニングでごまかす。それがたとえ夜中の12時でも走る。時には、絵を描くこともある。それがたとえ朝がたの4時でも。そのままぐだぐだとすごすことは楽だし、お酒を飲んでしまえば眠りにつくこともできるかもしれない。だけど孤独や不安、寂しいという感情は次の行動への大きな力に変わる物質だ。脳をだまして、孤独を見方にしてしまえば、いつもよりたくさんの前進を体感することができる。

13年12月9日(月)朝カフェ

08 芽

なりたかったらまずなってみる

毎週のように様々なパーティや交流会があるけれど、
そういった場所で自分がなにができるかを
明確にしていないとせっかく頂いた名刺もゴミと変わらない。

目の前にいる人に対して
「自分はこういうものです」「あなたとならばこういうことができますね」
という会話を一人だけとでもできたならば、
あなたはその交流会にいってよかった。
会費以上の成果を得たことになるだろう。

なりたいものになればいいというのは、
いつかなろうと思っているものに、今日からなってしまえばいいということである。

例えば、あなたが歌手になりたいとする。
ならばまず毎日うたうことからスタートする。
一日もかかさないほうがよいだろう。
そして、ボイストレーニングを初めてみる。
先生に作曲家などを紹介してもらう。
歌手として活動する名刺を創る。そして交流会に参加する。
そうしたら目の前にいる人々はあなたを歌手として認識することが可能になってくる。
おそらく
「じゃあこんど僕が主催するイベントがあるから歌ってくれたらうれしいな」

という会話がうまれることだろう。これは26歳のころの私自身の経験だ。
歌手になりたかったら、まずなればいい。最初のステージは大失敗した。
二回目のステージはへたくそだった。だけど、三回目のステージで黒字になった。
歌うことでお金を儲けることはそんなに難しいことではない。
成功の大小は関係ない。なんでも最初は小さいものである。
一つの芽を芽生えさせることができるかどうかにかかっている。
芽を育てることはあきらめないことにつきる。
どんなものにでもなることができる。
あなたが心から「なりたい」という夢を叶える勇気があるならば。

2013年12月7日(土)恵比寿ガーデンプレイス前ベンチ
更新:2014年3月19日(水)

07 完璧

完璧

ほんのエッセンスくらいに

時に人は完璧主義者に変貌することがある。
もうちょっとここを完璧にしないとローンチできないとか、
このあたりをもっと完璧に勉強しないと
次の章に進まないとかは心辺りがあるかもしれない。
自分の場合は、展示会の際に絵の配置において完璧を目指すであるとか、
一枚の絵の中でのカラーの成立具合に完璧を目指すとかがしばしば発生する。
この場合、期限内にイベント事態を遂行できるのであれば、
大いに完璧を目指すべきだと思う。
しかしながら、完璧を目指すあまり、後ろに期限を伸ばしたり、
最悪の場合は完成させなかったりする場合もあると思う。

これはものすごくもったいないことだと思う。
そもそも人間なんてものが完璧なものを生み出すことなどできないし、
完璧という感覚は自分の中で生まれるもので他人には関係がないからだ。
他人が完璧だと思っていても自分は思っていないなんていうことも多いだろう。
なんらかの製品を製造販売するメーカーのマーケティングも
リサーチを繰り返してローンチング(新商品デビュー)が
遅れるということはしないほうが懸命だ。

リサーチが生み出す結果は過去に例があるものでしかない。
新しいもの、クリエイトされたものはまだ消費者は認識できないのだから。
完璧は目指すべきではある。
大事なことは目の前のイベントを完了させて次のステージへ進むことである。

2013年12月5日(木)東京、ランチ、晴れ
更新:2014年3月19日(水)

06 完了

完了

日々、そのとき、ひとつずつ

チリも積もればという感覚を具体化することはなかなか難しいもので、
目の前のものがチリであることにすら気付かない。

チリとは具体的には完了した物体である。
完了した物体というのは、

「自分の中で、ここからここまで。」

としたひとつのタスクだ。
自分の場合は、一枚の絵を一日で完了させることが多い。

絵を完了させるプロセスの中にも、
下描きの完了、カラーリングの完了、
文字入れの完了などいくつかの小さな完了の塊で形成されている。

今日持つことができている時間の大きさに対する完了を自分で設定するのだ。
大小はあまり重要ではないが、自分で「完了した」と実感できることが大切である。

一日一枚の絵を描くことを初めていくと一年で365枚の絵になった。

自分が創った作品が1枚だけしかない場合、展示会にはなりにくいだろう。
作品が365枚あるとそれが独創性のない下手な絵でも、
ものすごい統一感と迫力が生まれて来るのだ。
絵は視覚的に認識しやすい「完了」であるといえるだろう。

例えばダイエットをする時に目標を設定するはず。
その目標に対して、一日あたりどのような完了を
作っていったらいいかを考えていただきたい。
おそらくやせるための限界接種カロリーをはじき出し、
ランチの度にそのために食べてもいいものを選択するだろう。
そしてあなたはランチが終わった時に「今日はおにぎりだけを食べた。
限界カロリーを超えなかった」という小さな成功完了を創り出す。

この経験が1年後にもたらす成果は創造を絶するだろう。
完了と感じられないものはふわふわと浮遊して、
チリになりずらい物体のまま、
あなたの時間と思考能力を低下させるだろう。

2013年10月28日 東京都港区
更新:2014年3月19日(水)



05 走る

走る

残り10%の場所で止まらないように

とてもランニングが好きだ。

大会に出たりしないけど、習慣的に走っている。
東京なら新宿御苑、神宮外苑、代々木公園のあたりをぐるーっと走る。
明るい時間帯、気持ちいいと思えるスピードで走る。
ランニングの時に心がけていることは最後の最後まで走るということ。
個人的な特徴かもしれないけど、
ゴールまで残り1割というところで辞めたくなってしまう。

自分が好きでやっているランニングなのだから
そこで辞めても大丈夫なのかもしれない。
でもそんな小さなあきらめが積み重なってゴールまで走れない案件が増えていく。

なんでもゴールよりも向こう側まで走る心構えで走っていれば、

途中であきらめるような癖がなくなる。(もちろんあきらめることは悪いことではない)

2013年11月15日

04 冒険 

冒険

自分の全部をアドベンチャーに変える

普通の毎日を過ごしているとふと、
「あ、冒険に出よう」
とか思ったりすることがある。

この時の冒険というのは、一時の出来事、経験であるならば、
それは広がりがなく、単なる旅行のようなものだ。
旅行は大いに結構だし、楽しい遊びはあったほうがいい。
最近書店に並びつつある「コンセプトのある旅」系の話が僕は苦手だ。
旅にコンセプトなんかなくてもいい。

もちろん一部の人にとってはあった方がいいんだろうし、
仕事と旅が連携している人はそうだと思う。
でも旅や冒険は単に娯楽として、
人生を豊にするための無意味な遊びでいい。

話がそれたけど、ここで言う「冒険」というのは、
一瞬の旅のことではなく、
人生をかけたドラマのことを指す。
ちょっとした旅や方向転換に冒険という言葉を用いることも多い。
毎日少しずつでもいいから真剣になにかに向かい、
人生をかけて冒険をしていきたい。

記初:2013年8月2日
更新:2013年12月7日(土)
更新:2014年3月19日(水)

03 儲ける

儲ける

誰かのために働く

絵を売ることに対して躊躇してしまう時期がやはり最初のころはあった。

自分の中から生み出した、
こんなに楽しいことだけで儲けてしまってもいいのだろうか。
人はどこかで「頑張って苦しいことをしないと儲けてはいけない」

という心があるものである。
原宿のバーで出会ったデザイン会社の社長が僕にこういった
「君は、絵をもっと堂々と売りなさい。君の絵で人生が変わる人がいるんだ。君は絵を誰かに提供することで充分に貢献できているんだよ。」
自分は絵を描くことは得意だけど、

本当に商売気が足りないということを多くの人から指摘されることがよくあった。
絵を描くこと、それを公開すること、
そのために世界を巡り、自分の感情を揺さぶるような光景に出会うことは

「自己実現」に留まることはない。誰かを幸せにすることに繋がって行く。

自分の好きなことはどんどん実行することができる。誰でも自分の好きなことくらいはある。

「キティちゃんがものすごく好き」
「ゴルフが好き」
「ラーメンが好き」

これらの「好き」というわくわくする感情は全く無駄にすることなく
思いっきりワイフワークにしてほしい。

目の前のやりたくないことはほったらかして、
自分の好きを追求しよう。

本当に追求していけば、お金にも繋がって行く。

記初:2013年8月1日(木)
更新:2013年12月5日(木)
更新:2013年12月7日(土)
更新:2014年3月19日(水)


02 実現

実現

社会実現と自己実現

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NPO法人を立ち上げパキスタンの支援をしている友人、こーちゃんが言った。

「まっつん、自己実現の感情がなくなった人は仏くらいだよ。
その力がなくなったら創造的な活動はおろか、誰かを喜ばせることなんて到底できないんだ。」

こーちゃんは自分のやりたいこと、楽しいことは全て満たして進んでいる。
だからもっと大きな世界を救う活動に向かうことができているんだ。
自己実現の本がたくさん並んでいる。

自分はこういった類いの本が大好きで朝風呂をしながらよく本を持ち込む。
たくさんの自己啓発本から学んだことをすっかり疑うようになっていた。
多くの本には次のように書いている。

「自分が心の底からわくわくすることができるようになった時に、
人対して影響を及ぼすことができる。自分を救わず、誰かを救うことは困難だ。」

まずは自分自身の心が動く方向に人生の舵を向ける必要がある。
そうでない限り、人を救うことはおろか、
自分のただ一度だけの人生をむなしく過ごすことに繋がってしまうかもしれない。

この「自己実現」と「社会実現」の話はよく混同されて、
今自分がどの位置にいるのか分からなくなってしまう。

全ての有意義な活動は自分自身の納得感がなければ発生しない。
自分の心がものすごく満たされるようにたくさん楽しいことをしよう。
楽しいと感じられる人とあって、毎日美味しいと感じるものを心ゆくまで食べよう。

そんな幸せな時代に自分たちは生まれて来たのだから。

記初:2013年7月30日(火)
更新:2013年12月5日(木)
更新:2014年3月19日(水)

01ライフワーク

ライフワーク

その生き方の選択(2013年夏)

01.jpg

その夏の1ヶ月間は頭の中が混乱していた。
2013年の世界一周のことを考えて、相当いったりきたりしている。

そもそも世界一周をしたいのだろうか。
僕は本当に遺産を巡りたいのだろうか。

毎日の日課となっている世界遺産の絵を描く、創作活動も
ここ数日間は止まってしまうくらい
余裕がなくなった。

僕がやっている世界遺産アートのプロジェクトは、
自宅で写真を見ながら描いたアントニガウディのサグラダファミリア。

「あ〜こんなところに行ってみたいなあ〜」
と思いながら描いた絵だ。

その一枚目の絵を描いた時の気持ちはどうだったか。
原点回帰することが今の自分にはとても大事なことのように思えたのである。
絵を描くことは自分の得意なことで大好きなことでしかないのかもしれない。
でも間違いなく、世界を巡ることに惹かれている自分がいる。

こうやって何度も何度も自分の道、
ライフワークにおびえることもあると思う。

その度に思い出すことができるようにライフワーク、
自分のスタイルはいたるところにメモして忘れないようにする。

原点がぶれればぶれるほど人生は
か細いストーリーで埋め尽くされる。
自分がこの世界にいる理由なんて追求してもしょうがない。

それは飛行機から地面を眺めているとよく分かる。
地球は大きくて、人間は見えない。
この世界の中で自分ができることはちっぽけだ。

だから、この世界をおもいっきり楽しむということだけにフォーカスするといい。
誰かのためでもいい。
自分のためでもいい。
世界のためでもいい。

とにかく自分が思いっきり楽しめることだけを
死ぬまで繰り返せばいいだけだ。
それがライフワークっていうやつなんだ。

記初:2013年7月29日(月)
更新:2013年12月15日(木)
更新:2014年3月19日(水)

00 はじめに

はじめに

夢について語るということ

「夢」という言葉がいつも自分の隣にある。

この夢というものは人によって解釈が異なるものの代表だと思う。
ある人にとって夢とは、「宇宙飛行士になる!」という崇高な職業に対する目標であったり、
ある人にとっては「東京にいく!」という場所的な方向性であったり、
こと子供ころの自分にとっては「からあげでいっぱいの部屋に入って食べまくる!」
という食欲を満たすための欲求であった。(この自分の夢は叶わなくてよかったと思う笑)

このように夢には様々な形がある。大小、奥行き、色、難易度などがそれだ。

自分がカナダに語学留学していたころ、
ある日、夢について発表するということになった。

ここで自分が発表したのは、
「今カナダに来れていることが自分にとって夢が叶っている状態だ。
その前は東京で働くことが夢だった。そんな感じでこれまでも
夢はたくさん叶ってきた。」

と発表する。先生は
「そういうのじゃなくて、もっと野球選手になるとかそういうやつよ」
といった。

夢というものは人、文化、国によって違う定義があるんだということだ。

辞書には以下のように書かれている。
「実現を待ち望むこと。また、将来への明るい見通し。」とある。
〔希望〕スル▽希望どおりに事が運ぶ▽希望を失う
〔望み〕▽永年の望みがかなう▽優勝の望みはない
〔夢〕▽大きな夢を抱く▽子供のころの夢がかなう
【1】「希望」「望み」は、「夢」にくらべて、すぐに実現が可能なことにいうことも多い。また、「ご希望」「お望み」の形でも用いられ、ほしいと思う、してもらいたい、という意味になる。「お料理の内容はご希望(お望み)により調製いたします」
【2】「夢」は、かなえられるかどうかはわからないが、将来実現させたいと思っている事柄をいう。

言葉の意味から色々詮索していても始まらないけれど、
「夢とは、人それぞれの崇高な願いだ。」

記初:2013年12月8日(日)新宿 カフェ

9999 時代(あとがき)

時代(あとがき)

夢について語ろうか

夢という言葉は自分の人生にとっては最もエキサイティングなワードのひとつだ。
それは1980年生まれという年代に生まれたからかもしれない。
目の前のわくわくに対して、なによりもストイックに進んでしまう。
だいたい夢を追いかけているとなんとなく、たぶんだけれど、しんどいことや困難が多いように感じる。
それは特に多くの人々とは違う生き方を選ぶ瞬間にやってくる【孤独】であることが多い。
この文章を日々書いているうちに僕の中でも夢や自分の考え方について、
ブラッシュアップされていく感覚を覚えてることが多かった。
日々更新しているこの文章の中では、同じような文章が何度も出て来たかもしれない。
これからも同じようなことを何度も言ってしまうかもしれない。
だけど何度も発信する言葉というのは自分の中では最も強く感じている
言葉ということを現しているように感じる。逆に、時が流れたら全く別のことを言っているかもしれない。
それは人生が永遠ではなくて、一時的な借り物であり、過ぎて行く時の中に
存在していることを表現しているように感じる。
夢は動物にはない能力で人間にだけ備わった崇高な感情だ。
だから僕たちはこれからも夢という、ココロの記憶、情熱に耳を傾けて、
自分のやりたいように楽しく暮らすことができたら本当に幸せだ。
現代という時代に生まれて本当によかったと思う。
日本という場所に生まれて本当によかったと思う。

記初:2013年12月16日