a pine of hope (Takata-matsubara Japan)

希望の一本松(高田松原 日本)

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Photo : Koichi Matsuda©


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○作品名称:I0025-1
○作品名称:a pine of hope (Takata-matsubara)  希望の一本松(高田松原)
○概要:
[東日本大震災] 高田松原の防潮林はたびたび津波に見舞われ、同時に津波被害を防いできた。近代以降で代表的なものとしては、1896年(明治29年)6月15日の明治三陸津波、1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸津波、1960年(昭和35年)5月24日のチリ地震津波がある。しかし、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で、高田松原は10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松がなぎ倒され壊滅した。
その際、奇跡的に1本の松だけ倒れずに残り、この松は震災直後から復興のシンボルと捉えられ、「希望の松」「希望の一本松」「ど根性松」「奇跡の一本松」などと通称されるようになった。しかし、この松の周囲の土壌は大地震による地盤沈下で海水がしみ込み塩分過多の状態にあるため、同年4月末の時点では健康な生育状態にあったものの、徐々に悪化していった。新葉が出ず、葉の褐色化が進んだことから、5月20日には根元に活性剤を撒く処置が執られ、6月5日には傷ついた幹を保護するためにこもが巻かれた。しかし、一時は新芽も確認され回復の兆しが見られたものの、新芽の多くが変色し衰弱が進んでいる。なお、文化庁は「地形が残っている」として名勝の指定を継続している。2011年10月の調査で海水で根が殆ど腐っており再生不可能と判断、保護を事実上断念、接木を育てるなど苗木を移す計画を勧めるとしている。また、倒れた松の一部はボランティアの手で薪として販売され、復興資金として寄付される予定であった[10]。一部は、清水寺・大日如来坐像に使用されるなどの活用されているものの[11]、2011年8月16日の京都・五山の送り火の薪として一部使用される予定が放射性セシウムが検出され二転三転し使用中止になったり[12]、2011年9月には成田山新勝寺で被災松を護摩木としておたき上げすることに対し抗議が多数寄せられるなど[13]、復興への支援か放射能汚染への不安かでしばしば賛否が起こっている。2012年2月10日、東日本大震災の復興政策を統括する復興庁が発足し、本庁の看板にはなぎ倒された高田松原の松が使われた。"

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E6%9D%BE%E5%8E%9F


Takata-matsubara is a nationally-designated Place of Scenic Beauty in Rikuzentakata, Iwate Prefecture, Japan.[1] Selected as one of the 100 Landscapes of Japan during the Shōwa era, there were some seventy thousand pine trees along a two kilometre stretch of beach within the Rikuchū Kaigan National Park.[2] One tree was left standing after the 2011 Tōhoku earthquake and tsunami.
http://en.wikipedia.org/wiki/Takata-matsubara



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●Model Access アクセス例
Tokyo - Rikuzentakata-shi (Driving about 8 hours)