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Kilimanjaro National Park
(Tanzania, United Republic of)

キリマンジャロ国立公園(タンザニア連合共和国)

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Photo : Koichi Matsuda©

0057-R 2013/9/8-9/12 Kilimanjaro National Park(Tanzania, United Republic of)
キリマンジャロ国立公園(タンザニア連合共和国)
Africa Natural 自然遺産
Kilimanjaro region
(vii) S3 4 0.012 E37 22 0.012
1987 Property : 75,575 ha Ref: 40
山頂から麓まで変化に富む自然体系のアフリカ大陸最高峰
"キリマンジャロは、標高5,895mでアフリカ最高峰。また南米のコトパクシ山に並ぶ標高を持つ世界最高峰級の火山でもある。キリマンジャロの頂上には、氷河が形成されている。この氷河から供給される水で出来た高山湿地帯を始め、標高別に、砂漠、高山湿地帯、高地草原、草原、熱帯雨林と広がっている。キリマンジャロ山とその周囲の森林は、ドイツ植民地時代の20世紀初頭から保護対象となっていた。1921年に、法的な保護対象となり、タンザニア独立後の1973年、山域の一部75,575haが国立公園として指定された。1987年に世界遺産に登録され、自然保護が活発的に行われている。一方、キリマンジャロ周囲の乾燥化に伴い、山頂の氷河の縮小が懸念されている。
(WIKIPEDIAより抜粋)
UNESCO

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2013年9月7日

岡本さんと僕は今回キリマンジャロに行くことに決めた。
目的は各々異なるけれど、2人とも大きな挑戦になることは必至だ。

イスタンブルからキリマンジャロまでの
ターキッシュエアラインで直行便が出ていて、
僕たちはその航空券でキリマンジャロに行くことになっている。

タンザニアに行くのは初めてだったので、とても緊張していた。
それにしても岡本さんはおかん的な存在で、
なにをするにしてもいちいちうるさい。

マラリアの対策はすんだ?
虫除けはぬった?
マラロンをのんだら、アルコールはだめやで!

などなど、たくさんアドバイスをもらった。
岡本さんのアドバイスがなかったら、今頃僕はマラリアでこの世にいないことだろう。

しかし、心配性の岡本さんは肝心の蚊取り線香を日本に忘れてきた笑。

飛行機の中で岡本さんと僕は明日からの壮絶な山登りを想像して興奮していた。
興奮覚めやらず、飛行機の中でうとうとしながら僕は
「なんて素晴らしいんだ人生は」というオリジナルソングを頭の中でループしていた。
いつのころからか、キリマンジャロに登ることは僕の夢になっていた。
理由は2つあった。
ひとつは、世界遺産であるキリマンジャロの壮大な景色を前にして絵を描くのが夢だったこと。
もうひとつは、学生の頃に読んだ本で、
ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソンの著書の中に
キリマンジャロに登りきった時に感じた

「どんなことでもできる」

という感覚、景色を
自分も味わいたいと強く思っていたからだ。

いつかおっさんになったら登ってやろう。頂上でガタガタ震えながら絵を描いてやろう、
そう思いながら、32歳になった自分と対話した時、
「どう考えても今やな」という思いが込み上げ、最終的な弾丸世界一周ルートにキリマンジャロを
組み込むことを決断したのだった。
今回は現地ツアー会社に協力してもらって、キリマンジャロ登頂ツアーを組んでもらった。
山登りのツアー料金はだいたい20万円くらいだ。(10万円〜30万円くらいが相場のよう)
興奮をさまして眠るために、飛行機でワインとビールをのんで強引に眠った。

そして飛行機は午前3時ころにキリマンジャロ空港に到着。
あまりにも早朝の到着だったので、予定のモシタウンのホテルではなく、
空港の近くのホテルに宿泊することになった。
とは言っても、朝8時までの5時間の滞在ではあったが。
岡本さんは蚊取り線香を忘れたので、その専用のお皿を灰皿にして使っていた。
「タバコの煙が蚊取り線香の変わりになるやろ」

僕たちは蚊帳をしっかりとセットして3時間ほどの仮眠をとることにした。

スタート〜マンダラハット

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Photo : Koichi Matsuda©

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2013年9月8日

翌朝これからしばらく入れないので、
入念にシャワーを浴びる。
朝食をゆっくりと取り、蚊を過剰に気にしながら、長袖でうろついていた。
周りの人々は普通に半袖で行動していた。
僕たちは腕時計型の電池式VAPEを装備して、蚊対策はばっちりだった。
というか、結局最後まで蚊らしい蚊をみないで旅は終わるのだが笑。
マラリア対策をしっかりするにこしたことはない。

「ジャンボ」はこんにちは。
ものすごくメジャーな挨拶だが、ここで使われる言葉だったのか、と気付く。
「アサンテ」はサンキュー。
どこの国にいっても、この「こんにちは」と「ありがとう」の2種類さえ覚えておけばあまり困ることはない。

寝ぼけながら朝食をゆっくりと取っていたので、
30分遅れでロビーに集合しました。迎えに来てくれたのは日本語がぺらぺらの運転手さん。
「ジャンボ!」にたいして、「オハヨウゴザイマス」で返された。

初めてのタンザニアではテレビで見たような光景がそのまま広がっていた。
大きな荷物を頭に乗せてあるく人。
三輪バイクで音楽をガンガンにかけてノリノリの人。
とにかく荷物をたくさん積んだ車。
アフリカらしい風景が流れていく。

1時間ほどで、当初の滞在予定のモシタウンへ。そこからさらに1時間ほどで、
キリマンジャロの麓に到着。

運転手は10ドルのチップを要求してきたが、さりげなく5ドルを渡した。
(それでも高いかな)
車を降りたとたん、タンザニアの商人数人がものを売りにきた。
岡本さんと僕は腕に「KILIMANJARO」と書かれた腕輪をいつの間にか付けられていて、
5ドル請求された。僕は仕切りに

「いらんいらんいらんいらんいらんいらん!!!」

と叫んだけど、岡本さんが10ドルで二人分買ってくれた。

改めて腕輪を見ているとなかなか雰囲気が出てて、なかなかいいやん、と思った笑。

そして僕は2本で20ドルの、使い込まれたストックのレンタルを進められて、
「いらねー…」と思いながらも、

岡本さんが

「持って行ったほうがいいって」

とオカン的アドバイスをしてくれたので、
下山の時に役に立つのかも…、と思い、
買っても5ドルくらいに見えるストック1本を10ドルでレンタルした。

僕たちをガイドしてくれる人は「アストン」というおじさんだ。
小柄でよく笑う山男。
僕は今日の分のダイアモックス(高山病薬)を飲んで登山に備えることにした。
ダイアモックスもマラロンも岡本さんが東京で買って来てくれた。
頼りになります。
ダイアモックスは一錠200円程度、マラロン(マラリア予防薬)は一錠900円くらい。
インドにいたときに岡本さんからライン電話がかかってきて、
「絶対に買っときな!」
と熱烈なオカン的アドバイスに負けて買ったこの薬。
やはりなんでも予防が大切なのだ。

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出発地点で記念撮影

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入山の前に名簿に名前を書いてチェックイン。
11:00AMにマラングゲートを出発!
登山一日目の始まりだ。
この日は3時間ほどで2700mくらいまで登るコースらしく、
睡眠もしっかりとれたので、特に問題なさそうだ。
アストンはゆっくりゆっくりと歩く。
やはり登山はゆっくり歩くのがよい。

序盤はとても元気なので、
アストンに色々なことを質問した。
自分はどういうことをしていて、この登山にはこんな思いで参加して
いるということを伝えた。
岡本さんが心配している、マラリアとツエツエバエの件について
アストンは、「どちらもこのキリマンジャロ登山においては大丈夫」
とのことだった。山にこれらの虫はいないようだ。
僕たちはほっとして元気に登山をすることができる。

ツエツエバエというのは、岡本さんがどこかのWEBサイトで見たらしく、
人間がさされると眠くなり、そのまま死んでしまうという脅威のハエだという。
アストンは一匹にさされたくらいじゃなんてことはない、と言っていた。
それにしてもそんなハエがこの世に存在するなんて、まだまだ世界は広い。

そんな話をヒアリングしていた英語があまりしゃべれない岡本さんは、

「この旅は英語のプラクティスになる」

といって、
頑張って英語に慣れようとアストンへの質問を
しきりに考えながら歩いていた。

出発地点からは森が広がっている。キリマンジャロ登山では、高度が広範囲に渡るため、
森、デザート、岩場など様々な地形を楽しむことができる。
(実際には楽しむというよりは、こなすという感覚だが)
ぺちゃくちゃしゃべりながら1時間30分ほど歩いたところで、
うれしいランチタイムだ。

ランチは小さなバナナ、オレンジ、簡単なサンドイッチ、チョコ、
パイナップルジュース、ピーナッツ等だった。
僕たちはお腹がすいていたのでばっちりほとんどを平らげた。

その後また1時間30分ほど歩き、14時30分頃に一日目の宿泊場に辿り着いた。
マンダラハットという名前の場所だ。
三角のかわいらしい小屋が所狭しと並んでいる。

僕たちの登山をサポートしてくれるのは、
アストンを含めて計7人。
サブガイド、コック、ウエイター、そして3人のポーター(荷物運び)だ。
僕たちの重たい荷物はポーターさんが運んでくれる。
彼らは僕たちよりも先回りして、山を登る。
事前に山小屋に着いておいて、食事や小屋の準備をしてくれるのだ。
一日目、3時間登山は容易かった。

キリマンジャロはポーターさんたちが荷物を運んでくれる大名登山。

「実はキリマンジャロは実は簡単なのでは」
と思い始めていた。
実際、最終日まではなんとか普通に歩いて行くことができる。

ハットにつくと、ダイニングでホットウォーター、ティー、コーヒーやミロを頂く。
僕は迷わず栄養の王様ミロを選択した。
何年振りかのミロの味にハッとした。
「ミロ、おいしいやん」

そうして一日目はこのマンダラハットの様子をスケッチする。

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ダイニングでお茶を飲み終わってホッとしていると
サブリーダーのフバルが
「クレーターを見に行こう」といって、
僕たちを連れ出した。
そういえばアフリカってクレーターが多いんだっけ。
同じくタンザニアのンゴロンゴロも、ものすごく大きなクレーター地帯。
一日目3時間程度の登山ではテンションが上がりきっていたので、
パワーは有り余っている。
僕たちはフバルと一緒にクレーターを見に少し山を登る。
途中で白黒の毛色の猿と遭遇した。

マンダラハットから10分ほど登ったところにそのクレータはある。
直径50Mほどだろうか。
MAUNDI CRATERという名前の隕石衝突後だ。
僕は第六感といった類いのものは持ち合わせているようなないようなだけれど、
その場所からはなにかしら宇宙のパワーを感じた。
夕暮れ、人気のなさが後押しして、なんともいえない異世界のような雰囲気があった。

次第に日が落ちるとともに、気温もぐんぐん落ちて来た。
岡本さんの腕時計には温度計がついていた。
この日、この場所、夕方以降の気温は10度だった。
昼間はタンクトップで動き回っていたが、
さすがに夜はゴアテックスの防水上着の出番だった。
それでも少し肌寒く感じる。

晩ご飯は魚のフライと野菜、ポタージュスープだった。

「うまー!」

クレーター見学で身体が冷えてきていたので、とてもとても美味しかった。
僕たちはその日の晩ご飯のほとんどを完食した。
小屋の中にはベッドが4つある。
その上に持って来た寝袋を敷いて眠る。
岡本さんは寝袋をレンタルしたので、しきりに匂いをチェックしては
なんともいえない顔をしていた。でも分厚くて温かそうな寝袋だった。
僕は日本で手に入れた Mont-bellの寝袋でこの日初めて眠る。
薄手な感じだったので、少し心配だったけど、
とても温かく過ごすことができた。
前日の睡眠不足もあいまって、僕たちは早めに就寝した。

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マンダラハット〜ホロンボハット

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2013年9月9日 登山2日目
ゆーっくりと休んで、7時くらいに起床。
ウエイターのトムが、
朝ご飯には、おかゆのような無味系のスープと
卵とソーセージとパンを持って来た。

もりもり食べて、午前8時いざ出発。
マラングゲートからはずっと森だった景色が少しずつ変化していく。
植物はその身長をどんどん短くしていった。
前に進めば進むほどに足下くらいにまで植物が小さくなって、
それと同時に遠くの景色がよく見えるようになっていく。
本日の行程は全部で5時間程度。
アストンの歩調に会わせてゆっくりゆっくりと歩く。
僕も岡本さんも自分なりに好きな景色を見つけては足をとめてシャッターを切る。
その度にアストンは待ってくれる。


しかしながら一向に姿を表さないのはキリマンジャロだった。
昨日は森で見えなくても仕方がないかなあと思っていた。
少し小高い丘で、アストンは言う。
「いつもはここで見えるけど、今日は曇ってるね。明日の朝には見えるよ。」

キリマンジャロは着いた時からずっと山頂付近に雲がずっとまとわりついていて、
なかなかその姿を現さない。
見えそうで見えないギリギリの服を着た女性のような感じがしたので、
僕と岡本さんは山をキリちゃんと呼ぶことにした。
「まさかずっとみえないんじゃ…。」

少しずつ不安が募ってくる。
僕はアストンに質問した。
「昨日からずっと雲で見えないけど、今日キリちゃんは見えるかな?」
「ああ、お昼には見えるよ。」

それから何時間か歩き
景色はどんどん変わって行く。
雨は一滴も振らずとてもいい天気。
でも彼女は雲を来たまま微動だにしない。
そうこうしているうちにランチタイム。
昨日と同じランチメニュー。
なんだかあまりお腹がすかず、サンドイッチ、
マフィン、ピーナッツなどを残した

僕はアストンに訪ねた。
「昨日からずっと雲で見えないけど、
今日キリちゃんは見えるかな?」

「ああ、夕方には見えるんじゃね?」



午後も2時間ほど歩くと、ホロンボハット(標高3720M) に到着した。
このハットより上には水道がないとのこと。
これ以上気温がさがると水に触ることすら困難になるため、
僕は思い切ってここで頭を洗ってみることにした。
さすが富士山級の高度。午後3時前なのに、水の温度は0度に近いように感じる。
頭に水をかけて、シャンプーをざざーー、
水をかけて、水をかけて、、、

「頭痛った!!!!!」

かき氷を一気に10人前食べたような感覚。
「こ、こんなに水って冷たくなれるんやっけ…」
4、5日間頭を洗えないとはいえ、
ここで頭を洗うのは、あまりおすすめではないことが判明した。

この時間になっても彼女は雲で隠れているようなので、
僕は今日も山を描くのをあきらめて反対方向に広がる
極上の雲海を絵にすることにした。

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一日目も二日目も
ブーツ以外はいたってシンプルな服装だった。
ブーツはmont-bellのアルパインクルーザーで、
ハイカットで防水でがっちりしている。
mont-bell 広報のスエムラさんもこの靴で世界一周プラスキリマンジャロ登頂を
果たしたとのことで、このブーツは安心感のある一品だった。
パンツはインドで購入した200円のぺらぺらのもの。
上はタンクトップ、シャツ、寒くなったらゴア防水ジャケットを着るという具合。
暑くなったら全ての上着を腰に巻いていくのだ。
岡本さんは帽子は防水のゴアがいいと言ってたけど、
今回の帽子は友達からもらったデニムのハットで、特に防水とかゴアではなかった。

キリマンジャロはシンプルに、昼間は暑く、夜は寒い。
乾燥しているので、汗だくになるという印象はなかった。

さてじわじわ頭の痛さも治まってきて、
ダイニングで岡本さんとお茶を飲んでいると
となりで外国人グループと楽しそうに話す日本人男性が見えた。
「写真を撮ってー」
といわれたので、外国人グループと彼にフォーカスを合わせて
シャッターを切る。

「僕はカタツムラ。学生です。」
彼は2ヶ月間のヨーロッパ、アフリカ縦断旅の途中らしい。
ノルウェーから南下して来たとのこと。
「さっきしゃべっていた中に南アフリカのやつがいて、
次はそいつの所に泊めてもらえることになったよ。」

彼はこれまでに40カ国以上を巡っている旅の上級者、強者だ。
異国の道端で見知らぬおじさんが汚い手でむしり取った果物を
「食べろ」と言われれば「食べる」そんな人だった。
目の前で起こる出来事は全て一旦裂けずに通るようにしているらしい。
僕は彼をかっこいいと思った。

そんな挑戦的な彼だが、黄熱病予防のイエローカードをドイツで取得し、
マラロンを服用し、A型肝炎の予防もしていて予防を怠っていないところがまたいい。
しめて4万円程度。しめるところは締めるのが大人のたしなみだ。
年齢の話になり、学生で若々しい彼はその風貌とは裏腹に38歳だということで
ものすごくびっくりしたが、なるほど大人な理由が分かった。
彼の世界旅行話がおもしろすぎて、夢中で聞き入った。

そんな時アストンが突然やってきて、
興奮気味に、

「みえるぞ!!」



ダイニングハットを出ると雲が晴れた空が広がり、
キリちゃんが顔を出しているじゃないか!

「うおー!」

僕たち3人は同時にさけんだ。

写真だととても遠くに見えるけど、
僕たちの目にはとても大きな山が映っていた。
僕はこの山を見るために、
そして描くために遠く離れたこの地まではるばるやってきたのだ。

僕はもちろんすぐにペンを取り出し、
雲で隠れる前にスケッチを起こした。

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全日山を見られない、スケッチを起こせない、
という最悪の事態は過ぎ去り、
アストンの言ったとおり、夕方にはキリマンジャロを拝むことができた。


カタツムラさんはその翌日にスケジュールを前倒しして、
ここからウフルピーク(山頂)を目指すらしく、
次の日は朝4時起きなのだそうだ。
なのに彼の話が面白くてその夜僕たち3人は夜が遅くまで語りあった。
内容が濃すぎてここには描けないけれど、
カタツムラさんの話がおもしろすぎた。

さすがに明日に差し支えるだろうということで、
募る話を強引にストップした僕たちはダイニングを出る。

すると、、、

「おおー!!!!!」
夜空には見たことのない星空が広がっていた。

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ホロンボハット〜キボハット

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アストンが初挑戦したスケッチ

2013年9月10日

空は晴れ渡っていた。

キリマンジャロの弟分のような山がある。
アストン曰く、MAWENZI という名前だそうで、
切り立った崖のような荒々しい形状をした山だ。
キリマンジャロよりは標高が低いが、
ロッククライミング的な技術が必要なようで、
登るのは非常に困難なのだそう。

今日は朝からキリマンジャロ山頂がよく見える。
少し歩いたところでアストンに
「一番彼女(キリマンジャロ)がきれいに見えるところを教えて」
というと、
「もう少しいったところがおれは一番好きさ」
といって教えてくれた。

その場所には座りやすい大きな岩がごろごろしていて、
背の低いかわいらしい感じの植物が並ぶ絶好の見晴らしの場所だった。
僕は即座にその場所をスケッチする。

岡本さんはそんな僕たちの様子を映像に記録したり、
写真を撮ったりしながら、待ってくれた。
でもたまに
「ちょっとじゃまやからそこどいて!」
的なことを言ってスケッチさせてくれないのが岡本さん的ユーモアのようだ。


アストンにただ待っていてもらうのも恐縮なので、

「一緒に描こうやぁ!」

といって誘ってみた。

最初はとてもいやがっていたのだが、
やはりまんざらでもない様子で、
予備のスケッチブックとペンを渡すと一緒に描き始めた。
アストンの絵はまず10秒ほどで仕上がった。

山の輪郭をささーっと描いただけだったので、
もう少し近景にあるものなども描いてみるようにしてもらった。
僕のスケッチの手法はどんな人でもなんか味が出る用に描けるようになっている。
僕自身モチーフを完璧にとらえているのではなく、
モチーフと自分との間に存在する空間を描いているので、絵はいびつである。

近景や手前にいる自分たち人間も描いてもらうと、
最後に日付、サインをしてもらった。

うん、実によく絵になっている。
僕の中でおもしろかったのは、
この横長の山モチーフに対して、
スケッチブックを縦に使用したことだ。
このことで、山以外のモチーフをしっかり描き込むことができて、
普通のキリマンジャロではなく、アストンらしい風景が広がった。

僕はこの道の行程の中で、高度の違う2のキリマンジャロの絵を描いた。

本日のランチも中身は同じ。
休憩場所で日本人カップルと出会った。
二人は名古屋と東京の遠距離恋愛中なのだそう。
そんな関係の二人がキリマンジャロに一緒に登っているなんて、
なんてロマンチックなんだろう。

岡本さんと二人でアストンに叫んだ。
「恋っていいね!」

少しずつ疲れが出て来たのか、食欲が減って来た。
この日のランチはチョコレートとパイナップルジュースだけを接種した。

最終キャンプ地点のキボハットに到着する頃にはなんだかんだで
岡本さんも僕も疲れて来ていた。
慣れない環境、4000Mを超える高度の中では、しらずしらずのうちに
身体に以上が出始めている。
僕は富士山でも高山症状が出るため、この時点で
少し頭痛の症状が現れたりしていた。
朝晩半錠ずつのダイアモックスを服用していたので、
それほどでもなかったのかもしれない。

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キボハット〜ウフルピーク

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2013年9月10日夜23時。

4000Mを超えたあたりから鼓動が早くなり息があらくなってきた。
このキボハットは、高度4703M地点。
トイレに行くだけでも少し息があがるうえ、寒い。
なるべく外に出たくない。

疲れが相まって、夕方にスパゲッティを食べた後、倒れるように眠り込んだ。
数時間の仮眠のおかげで体調はよさそうだ。

この登山で僕が最も気にしていたことは、服装。
マイナス10度の山の上というものがどれくらいのものなのか。
カナダでマイナス20度を体験した時の記憶を元に

弾丸世界一周の行程の中、この場所だけが寒いため、
荷物をあるべく減らしたくて、最低限の服で挑むことに決めていた。
シンプルな荷物が美しいとも思っているからだ。

スキーウェアやフリース等のゴアゴアしてかさ張る装備は一切持って来なかった。
それは今回は一ヶ月間の世界一周の途中で、気温の高いその他の国で不必要な
荷物の増加を避けたかったからである。

キリマンジャロの他には、インド、トルコ、エチオピア、スペイン、アメリカを巡る予定になっている。
こんな時に頼りになる装備を揃えているのがMont-bellだ。
僕はゴアテックスの防水ジャケットとズボン、そして世界最軽量の薄手のダウンジャケットに
持って来た全ての夏服を重ね着することで、
寒さを凌ぐことにかけていた。

【山頂アタックの服装】

●頭部…
薄手のニットキャップ、
タオル&スカーフ(マフラーの変わり)、
ヘッドランプ

●上半身(持っていた全ての服を着た)…
ヒートテック長袖、
タンクトップ×3、
半袖シャツ、
長袖シャツ×2
薄手ダウン、
ゴア防水ジャケット(フード付き)

●手…
薄手手袋、
雪山用手袋

●下半身(持っていた全ての服)…
ヒートテック、
夏用ぺらぺらズボン×2、
ゴア防水パンツ、
アルパインクルーザー(防水)

(実際にはこの装備で万全だった)


寝袋から出ると凍えそうな寒さだったので、すぐに上記の装備に着替えた。
テンションのせいもあってか、
寒さはほとんど感じることはなかった。
でも心臓の鼓動が早く、かなり息苦しい。

【山頂アタック】

午前0時、てっぺん目指して出発した。
もちろんわざわざこの時間に出発するのは
頂上からご来光を見るためである。

ここからはひたすらゆっくり歩き続けるだけ。
鼓動のペースが以上に早い。


しかしここに来て、岡本さんもかなり疲れがみられた。
僕たちは歩くペースが違ったので、ガイドの提案で、
グループを分けることになった。
僕はサブガイドと供に2人で頂上を目指す。

「山頂で会おう!!」

僕は、5000M付近までは余裕があった。
それでも止まって休憩すると体温が下がって危険なので、
ひたすら歩き続けた。

しかし、

5000Mを超える看板があるのだが、
その付近から上にいけばいくほど、本当に呼吸をするのが困難になってきた。
頭痛は少しずつ激しくなり、吐き気もする。
どこか頭上からなにか見えないもので押さえつけられているかのような感覚だった。
アストンと違ってサブガイドのフバルは身長が高く、足が長くてペースが早い。
ゆっくりの歩調が分からず、自分でペースを作って行く。

忘年会でお酒をものすごくたくさん飲んで帰宅する時の
駅から家までのあのふらつく感じも加わって来る。
下山時に聞いたのだが、これらは完全に高山病の症状だということだった。
目はうつろになってきて、ふらついてこけそうになることもあった。

5000M付近では体温的には問題なく、動いているためか
だんだん顔が暑くなって来た。

「あつー!!」

といってフードを脱いだ。
フバルはその僕を見て
「君は100%辿り着けるよ」
といった。息苦しくて涙目になっていたが、
僕もその言葉を信じることにした。

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2013年9月11日

3歩あるくと限界がくるので、腕を足について
大きく3回深呼吸する。
砂がずるずると滑るので、足を進めても下がっているような感覚になる。
これが昼間の登山だったら周りもはっきりしているし
気温も高いのでまだましだったかもしれない。

暗い闇の中をひたすら苦しみながら足を進めていく。
ゴールがまったく見えない。
これは生きて行く上での様々なことと重なっているように感じた。
見えなくても進んでいくしかないし、進んでいけば必ずなにかにぶつかる。
ゴールかもしれないし、課題かもしれない。
でも引き返してしまったら、見えたはずの未来がみえないんだ。

僕は自分の意志でこんなところで山登りをしている。
意味のないことかもしれないけれど、自分にとっては意味があるはず…。

理由よりも心がここに来たがっていたから、
どんなに苦しくても足を止められなかった。

次第に止まって深呼吸する回数が10回以上に増えている。

まったく前に進んでいる気がしない。
身体が重くて重くてしょうがない。
めまいが激しい。

結構おおげさに聞こえるかもしれないけれど、
僕にとってはここに書き足りないくらいしんどかった。
砂場を超えるとごつごつした岩場が出て来る。
這いつくばるようにしながら、登る。登る。

「なんでこんなことやってるんやろう」
「なんで人と違う生き方なんやろう」
「なんであの時あの道を選ばなかったんやろう」
「なんでこんなにしんどいんやろう」
「なにしてるんやっけ…」

様々な思いが寄せては返して行く。



「ぜーぜーぜーぜーぜーぜー」息苦しい。
「そういえば心臓って生涯で脈打つ回数決まってるよね。
ここでこんなにバクバクしてたら寿命縮まるやん」

的なことを考え続ける。

そしてやがて、突然その時は突然訪れる。

「CONGRATULATIONS」

気付いた時には周りは開け、薄暗い景色の中に
「ギルマンズポイント」のサインが見えた。
僕たちは5685Mまで登ってきたのだ。
まだ200Mほどあがらなくてはならないのに、
ひとつのゴールまで
辿り着けたことに対するなにげないひとことが胸に響く。

「おめでとう」

その言葉だけで涙がどっと溢れた。
泣かないはずだったのに、
めちゃめちゃ泣けた。




その後は山頂のクレーターの淵をふらふらめそめそ泣きながら歩いていた。
なんで泣いているかはあまりうまく書けない。
なぜかぽろぽろと涙が出て来るのだ。

なだらかな頂上のクレーターをちょっとずつ歩く。
もうふらふらで立っているのもやっとな感じだった。
僕にとっては間違いなく人生で一番しんどい体験だ。

6時30分AMになり、太陽が昇る。
最高点のウフルピークまでの途中でのご来光。
今回の旅では様々な場所で太陽の様々な表情を見て来た。
どの場所から見る太陽も美しいが、キリマンジャロ山頂付近で見る太陽には
手が届きそうな気がした。

3歩歩いて3呼吸。
やがてウフルピークの緑のサインが見えて来た。
フバルが「おめでとう」と言ってハグをしてくれた。
僕はまた「CONGRATULATIONS」のサインで大泣きした。
僕たちは5895Mに到達したのだ。

僕は思った。
「どんなことでもできるやん!」

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山頂でのスケッチは披露と寒さのため5分が限界だった。

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2013年9月11日

なにかをやり遂げるとまた次の目標に向かって進んで行く。
人生とは短いようで長い試練の連続である。

富士山もそうだけど、下山がまた大変なんだ。
フバルは僕の腕を掴んで、まるでスキーのように山をかける。
このとき僕は本当に失神しそうなくらい疲れていたけれど容赦なし。
高山病が進行するから早く降りるほうが安全なんだろう。
ここでハイカットのごついブーツがかなり役にたった。
本当は2本ストックがあったら自分ひとりでも滑るように素早く降りられるのだろう。

途中何度も休憩しながら1時間くらい滑り降りたのだろうか。
岡本さんとアストンは先に下山して待っていてくれた。
アストンは「よくやった」と言って手を握って歩いてくれた。
なんだかその手があたたかくてまたひと涙やってきた。

キボに到着しても寒くて頭ががんがんしていた。
食欲はないがなにか足りない。
トムがキンキンに冷えたレモネードを持って来てくれた。

「んまー!!!!!!!」
岡本さんと僕は声を大にしてこのレモネードを一気に飲んだ。
その後野菜のスープが運ばれて来た。
食欲は全くなかったけれどトムが無理矢理にでも食べろと促す。
「むりむりむりむりむり」
と言いながらも、トムがスープを流し込む。
岡本さんもオカン的に
「食べときな!」
と言ってトムの応援をしていた。
吐きそうだったけれど、無理に食べた野菜スープは身体の体温を上げてくれた。
胃袋になにかをいれたら、寒気と供にものすごい眠気が襲って来た。
僕たちは寝袋にくるまって仮眠をとった。

「起きろー!」

アストンが元気よく部屋に入って来た!
「ほんとむりむりむりむりむり」

一位時間くらい眠ったのだろうか。どんなに体調が悪かろうが、寒かろうが、
10KMの道を引き返し、ホロンボまで戻らなければならない。
キボには水がないからだ。

ゆっくりゆっくり下山して、なんとか昼過ぎ予定通りホロンボまで戻った。
軽めの頭痛と吐き気が治まらず、呼吸も少し荒かったので、
僕たちは早々と眠りについた。
午後7時だった。


2013年9月12日

グルグル〜
午前1時、猛烈なお腹の痛みがおそってきた。
なんとか治まらないものかと寝袋の中で痛みとたたかってみたけれど無理だ。

ものすごくおっくうだったけれど、極寒のトイレへと旅立つ。
その夜、3回くらいトイレに行くはめになった。
身体はだるいし、外は寒いし、暗いし、紙も残りギリギリだった。
壮絶な戦いを繰り広げながらも10時間ほどの睡眠をとった。


やがて朝がやってくる。
不思議なことに昨日までガタガタだった体調が、
朝日とともに万全になってきていることに気付く。
人間の身体はものすごく高性能に創られている。
この日はスタート地点までの20kmの道を一気にくだる。
体調がすこぶるよかったので、アストンと競争しながらあっという間に下山した。
6時間くらい歩いただろうか。
スタート地点に戻って来た。

岡本さんが売店で2本のコーラを買って来てくれた。
僕たちはこのコーラを一気に飲み干した。
「んまー!!!!」

岡本さん曰く、「コカコーラ」という言葉は「OK」の次に
世界中の人々が認識できる単語なのだそうだ(ほんとかな)。

アストンから登頂成功の認定書を受け取った。
岡本さんのは、インクがにじんでいて面白かった。
簡単な書類だったけれど、とても素晴らしい思い出だ。

下山後はアストン達7人のクルーにはそれぞれチップを渡すのが
キリマンジャロの通例である。

料金の高い順に、
チーフガイド、サブガイド、コック、ウエイターポーターの順番にチップを包むようだ。
昨日のうちに岡本さんと用意しておいた紙に包んだチップを
僕たちは渡してさよならをした。

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2013年9月13日

下山後はモシ町のちょっとしたリゾートホテルで過ごす。
プールに入ったり、絵を描いたり、貯まっている仕事をしたり、
撮影した写真を整理したりして過ごす。

いやー、それにしても快適だ。
もう蚊のことを気にすることも忘れかけていた。
(VAPEは作動させ続けていたけれど)

こうして僕たちはキリマンジャロを後にする。 
岡本さんとはアディスアベバ空港でさよならだった。
僕は次の目的地、エチオピアのビザを空港で購入した(20ドル)。

岡本さんも僕も日焼けしすぎて、真っ黒だった。
顔の皮がびりびりになって粉をふきまくっていた。
岡本さんは、
「日本帰ったらまず、ラーメンに唐揚げ乗せて、カツカレーを食ってる写真を送るわ!」
と言って去って行った!

「神様、素晴らしい経験をありがとう!!!」

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